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 Kan Naoto か Naoto Kan か。


 

 「正しい日本語」とは少し外れますが、国際社会における日本語の問題点の一つとして取り上げてみようと思います。

 
 一番普遍的に有名な人物として、これを書いている2011年5月現在での内閣総理大臣の名前を引き合いに出しましたが。
 何を言わんとするかというと。
 通常、日本人は姓名を表記する時には姓を先に書き、名を後に書きます。
 私のHNは三鷹逆織ですから、カタカナにすればミタカサカオリですしそのままローマ字にすればMitaka Sakaoriになります。

 
 ですが。
 人によりけりだと思いますが、おそらく多くの人は「自分の名前を英語で書く時は、外国人は名が先で姓が後だから【姓名】ではなく【名姓】の順で書きましょう」って教わったのではないでしょうか。
 そしてあらゆる情報が国内だけでなく国外にも向けて発信される今、多くの著名人やWebサイトの運営者などは、姓名を逆転させて自分の名前をローマ字表記しているのではないでしょうか。

 
 これが人間の怖いところです。
 習ったことは正しいだとか、みんなそうしているから正しいだとか、【理屈の存在しない理由】で行動してしまうからです。
 これも【思考停止】の一種ですよね。

 
 考えてみてください。問題点はたくさんあります。
 たとえば私のフルネームはMitaka Sakaoriですから、Sakaori Mitakaと呼ばれてもピンと来ません。
 呼ばれ慣れていないからです。
 姓は姓、名は名で固有のものですが、フルネームはフルネームで、これもまた固有のものです。
 順番を変えられるとものすごい違和感を感じます。
 まあ、あくまで慣れの問題なのかもしれませんが。
 

 そして次に。
 フルネームで姓が先に来るのは日本人だけではありませんが、ローマ字表記する時にわざわざ【姓名】を【名姓】にひっくり返している国はそんなにありません。
 おそらくは上記のとおり、フルネームはフルネームで固有のものであって、ひっくり返されるのが嫌だとかそういう理由もあろうかと思います。
 英語圏向けには普段使っているフルネームと違う順序で名乗るなんて、こんなことをやっているのは珍しいと考えてください。
 

 そして一番の問題点。
 日本人が英語圏向けに、姓と名の順序を入れ替えて名乗るのならば。
 たとえばアメリカ人は日本語圏向けには、名と姓の順序を入れ替えて名乗らねばならないのではないですか。
 バラク・オバマ大統領は、日本のテレビや新聞にはオバマ・バラク大統領と紹介されるべきではありませんか。
 実際は姓名の逆転はされていません。バラク・オバマ大統領は姓がオバマで名がバラクであることを我々は知識として知っているので不自由もしません。
 なぜ日本人だけ異文化に合わせて自らの文化を捻じ曲げてしまうのでしょうか。
 そんな必要は無いはずです。
 それとも姓が先で名を後に名乗る文化を日本人は否定しているのでしょうか。
 だったら国内での名乗り方も全て名姓の順に直すべきですがそれもやっていません。
 じゃあなんで姓名の順序を逆転させるのですか。

 
 姓名の順を逆転させることに理屈なんて存在しないんです。
 日本人が相手に合わせて直したのに相手は日本人に合わせて直すことはしていない。
 ということは、直す必要はなかったのです。
 私のフルネームはMitaka Sakaoriです。Sakaori Mitakaではありません。
 そして「日本人は姓を先に名乗る文化である」という知識を持っている相手であれば、我々がわざわざ順序を変えて名乗らなくても相手はちゃんとどちらが姓でどちらが名であるか理解してくれます。
 誰も不自由しないでしょう?
 余計なことはしなくていいんです。

 
 こんな余計なことをするようになったのは昔々、今より舶来コンプレックスが強かった時代の名残なのだと思います。
 外国様がそうしているから日本人は合わせよう、みたいな魂胆です。
 卑屈になるの、やめませんか。

 
 それどころか。
 今になっても「姓が先に来るのは個人を軽視して家を重視した過去の悪習の名残で恥ずべきものだ」みたいな言い方をする人がいますけど。
 それは違います。
 日本語は述語、つまり文の主題が後部に来る言語です。
 つまり、三鷹逆織という名は「三鷹家にいる逆織という人物」であることを示すものであって、【家を示す姓】は【個人を示す名】の説明でしかありません。姓は名の説明に過ぎないのです。日本語において名が後に来るのは名を重視している証拠です。
 英語は逆に文の主題が最初に来るので、【家を示す姓】は後ろから【個人を示す名】を説明しています。
 どちらもそれぞれの言語において【個人を示す名】を一番重要視した構造です。
 卑屈になるの、やめませんか。

 
 余談ですが、このような語順構造の違いから、日本語は主題が一番最後に言われるのでまだるっこしいとかいう人がいます。特に英語教師みたいな職業の人に多いのは私の偏見だとは思いますが。
 英語は肯定なら肯定、否定なら否定の言葉が文の最初に現れるからキッパリしている点が好きで、日本語は結論が最後に来るからその点で劣っている、みたいな話です。
 具体例をあげると、
「そのみかんを食べていいですか」
「そのみかんを食べてはいけません」 
 日本語だと下線部まで結果が解らないのに、英語だと主語のすぐ次に来る動詞で肯定か否定か解るから英語が素晴らしい、みたいな。
 でもそれは違います。
 こんな初歩中の初歩の教科書に載るようなたどたどしい文だったら確かにそうかもしれませんが、日常会話だったらこんなことはないでしょう?
「そのみかん、食べていい?」
「ダメ」(「いや、それ俺のじゃないし」のような言い方もあります)
 言いたいことがすぐ伝わるように、ちゃんと我々はしゃべっているじゃないですか。
 英語だってたぶん、「Yes」「No」が最初に来ますよね。
 こんなことで優劣が付くわけないでしょう。
 卑屈になるの、やめませんか。

 
 余談が過ぎましたけど。
 自分が相手と違う文化だからって、相手の文化に合わせる必要はありませんよね。
 相手が自分との違いを理解していてくれれば、自分の文化を尊重することだってできます。
 まして、我々は相手の文化を理解して尊重しているのに、自分の文化だけ相手に合わせるのなんておかしな話です。
 卑屈になるのはやめましょう。

 
 それでも、習ったものが正しいと盲信して卑屈だった頃の悪習を引きずっているのか、盲信していなくても自ら卑屈になっているのか、姓名の順を逆転させたがる人が日本人にはあまりにも多すぎます。
 ローマ字でも姓を先に表記する人がじわじわと増えて来ていますが、旧態依然、名を先に書く人も大勢いて拮抗状態です。
 そのせいで、欧米など名を先に書く言語圏の人々には「日本人は姓を先に名乗る文化だ」「日本人は日本では姓を先に名乗るが海外では名を先に名乗っている」という両方の事実が認識されており、実際に表記されたフルネームのどちらが姓であるか判別できないという事態に陥っています。
 なので、姓を先に書くようにした人は判別のため、姓をすべて大文字で書いたりしています。
 私の場合は、MITAKA Sakaoriと表記しています。プロフィール欄にそう表記してあるので暇な方は確認してください。
 みんなが統一してくれれば、頭文字だけ大文字にして後は小文字でいいんですけどね。
 
 

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