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 ら抜き言葉は正しくないわけではない


 

 「正しい日本語」とセットにして、よく槍玉に挙げられるのが【ら抜き言葉】です。

○私は好き嫌いがないので何でも食べれる。
×私は好き嫌いがないので何でも食べれる。

○データが重くて見れない。
×データが重くて見れない。

 だいたいいつも「ら」が抜けている後者は間違いですよみなさん日本語は正しく使いましょう、というような話になるわけですけど。

 【ら抜き言葉】って何でしょうか。
 食べるは、【動詞】の、その中でも【一段活用の動詞】です。「たべ」までは活用で変化することがありません。
 このうち、【可能】を表す形にする時に【ら抜き言葉】と呼ばれる現象は起こります。
 古来、「食べられる」とするべきところが、最近では「食べれる」といわれるようになったのです。そして【ら抜き言葉】を正しくないとすることは、この現象が正しくないとすることになります。 

 前に「正しい日本語は存在しない」と言いました。これも言葉に起きた現象に対して、昔を正として今を悪とする【正誤の価値観】を持ち込んだ結果と言えます。
 さて、正しいとされる昔の【ら抜き言葉】でない表現は何をもって正しいとするのでしょうか。
 昔が正しいという根拠はどこにもないんですが。もちろん今が正しいという根拠もどこにもありません。

 さて。
 「食べられる」という言葉は三通りの意味を持っています。
 【受身】【尊敬】【可能】です。
 例文にしてみましょう。

【受身】冷蔵庫にしまっておいたケーキを彼女に食べられた。
【尊敬】先生は私が勧めたケーキを食べられた。
【可能】私はケーキなんか大嫌いだけど、彼の作ったケーキだけは食べられた。

 まあこんな感じです。ことごとくケーキなのは御愛嬌。
 さて。
 一つの言葉が三通りも意味を持つことは非常に煩雑で非合理的です。
 このためかどうか、【尊敬】を意味する動詞は大抵このような使い方をしません。偉い人が物を食べる時は「召し上がる」が多く用いられています。
 【尊敬】が「一抜けた」したので、続いて【可能】も「じゃあ俺も二抜けた」となったとは考えられませんか。
 まあ抜けた順番については憶測なので何の根拠もありませんが。
 少なくとも、紛らわしいので形を変えるのは合理的なことだと言えます。

 ここで話の腰を折りますけど。
 勘違いしないで欲しいのは、本稿は「だから【ら抜き言葉】が正しい」と言いたいのではない、ということです。
 【ら抜き言葉】には理屈が存在する、と言いたいのです。

 続いてもう一つ。
 【ら抜き言葉】は【一段動詞の動詞(上一段、下一段含む)】に起きる現象ですが。
 では【五段活用の動詞】はどうでしょうか。
 例えば「飲む」は。
 【可能】を示す時には「飲める」と言いますよね。
 【尊敬】は「飲まれる」で【受身】も「飲まれる」です。

 【五段活用の動詞】の【可能】は、【尊敬】【受身】と違う形をとっているのです。
 【一段活用】は【尊敬】【受身】と同じ形で、【五段活用】は【尊敬】【受身】と違う形
 同じように用いられる動詞なのに、二通りの形があります。これって非合理的ですよね。【一段活用の動詞】の【可能】を表す形が【ら抜き言葉】になることによって、ルールを統一することができます。この点でも合理的であるといえませんか。

 加えて言うなら。
 【五段活用の動詞】の【可能】も昔は【尊敬】【受身】と同じ形であったといわれています。
 明治時代の小説にはこのような表現が残っているといわれています(参考文献:『やさしい日本語のしくみ』くろしお出版)。
 「飲める」は「飲まれる」だったわけです。
 ということは。
 【五段活用の動詞】の【可能】を表す表現は、昔と今とで形が変わったわけです。
 【正誤の価値観】がどうであれ、新しい形が定着したことになります。
 一方、なぜ同時でなかったのかは知りませんが、【一段活用の動詞】は現代になって【五段活用の動詞】と同じ変化を起こしつつあります。
 起こるべくして起こった現象と言えませんか。
 それと、批判するのなら【五段活用の動詞】の【可能】を示す形も同様に「正しい日本語ではない」として批判するべきではないでしょうか。どうして【一段活用の動詞】だけが槍玉にあげられるのでしょう。

 それでも、このような変化に抗うのは個人の勝手です。
 肯定も否定もしません。
 ですがそれは自分が使う言葉だけに限定してほしいものです。
 人が使った言葉に対し「正しくない」なんて批判するのはもってのほかです。

 繰り返しになりますけど。
 【ら抜き言葉】は現象です。
 他のあらゆる問題もそうですが、そこに【正誤の価値観】を持ち込むこと自体が間違いです。

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