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 第七章 河辺博輔V(2/2)


 空知の顔に表情がない。
「友達やめて。私が君のことを、二度と会わなくてもどこかで死んでても構わないって思うくらいに嫌いになれば忘れたのと一緒だよね」
 表情がない。声にも感情がない。
「あーあ、この私がこんなに弱くなるなんて」
 俺にはもうどうにもできない。
 空知もきっとそれをわかっている。
 もう誰にもどうにもできない。
 そもそも彼女は強かったのだろうか。
 それとも強くなくなってしまったのか。
 確かめることも無意味だ。ただ、今の空知はとても弱い。
「君と友達になったばかりに」
 空知が軍人である以上、いつ誰を殺そうが殺されようがそれは当たり前のことだ。もちろん普通に生きていても事故や病気や事件に巻き込まれて死ぬことはありえる。でもそれは当たり前じゃない。国から保障された生きる資格が反故にされた一大事だ。悲劇だ。しかし空知は軍人だ。生きる資格も保障されていない。軍人の戦死なんて当たり前すぎて悲劇にもならない。
「友達にならなければよかったのかな」
 今更軍人をやめることはできない。
 戦いが終わることもない。終わるまで空知が生きている保障もない。
 ただ漠然と、そんなことはないという思いが浮かんでは来るがそれは何の根拠もない話だ。受け入れがたい事実が付き付けられれば簡単に壊されるようなただの理想だ。
「今からやり直せる?」
 たぶんだけれど。
 空知は弱っていても、それでも強い子だ。
 親がいないことも本当に何も気にしていないように俺には思えた。
 でもそれは本心じゃなかった。気にしていないどころか負い目を感じているからこそ、それを長所にできると思って軍人の道を選んだのだろう。
 だから俺が友達をやめるといえばきっと空知は俺との出来事を全て無かったことにする。
 世間では親がいるのが当たり前という事実に触れても何も感じていないふりを演じることができるのだから、友達だと思っていた人間が友達じゃなくなったとしても何も感じていないふりを演じ切るだろう。
 確かにその方が楽かもしれない。
 死んではいけない理由が一つなくなるからだ。
 死ぬ時は死ぬ、それで済むのなら決死の戦いも大安売りになる。
「やり直せるかな?」
 実に無表情の顔と声。
 でも。
 俺にはわかる。
 誰にだってわかるだろう?
 彼女は本当は楽になりたいんだ。
 
 だから俺は。
 彼女の退路を断つ。
 冷たい事実を突きつける。
 
「空知さん」
「何?」
「俺は君のことを忘れられないよ」
 空知は驚きもしなかった。
「君が死んだら泣く」
 それは彼女にとって最も足枷になるものだ。
 誰もが持っている足枷。生きなければならない理由。誰かのために生きるということ。死んだら悲しませるということ。それが無いことを長所に軍人を目指した彼女にとって、今更有っては困るものだろう。
 俺は彼女に足枷をはめる。
「俺は泣く。他の誰も泣かなくても俺は泣く。絶対に泣く」
 足枷を引きずっていることを片時も忘れないようにきつくきつく締めつける。
「……こんな私のために?」
 空知の声色が明らかに変わった。
 抑揚は相変わらず無い。でも細く弱くなった。
 聞くのが怖いのだ。それは嫌な質問だからではない。期待しているからだと俺は思う。
 そして質問の答えを考える。
 ……ああ。
 なんていうことだ。解らない。
 俺はいつからそうだったのだ。本当にそうなのかすら解らない。それすら解らないけれどたぶんそうだ。確信は無いけど、そうだと言い切る自信だけはある。
「空知さん。友達も恋人も法律上は他人なんだ」
「……あの」
 質問に答えなかったことで空知の表情が歪む。
 その表情を見て思った。
 さっきの質問の答えを考えるなんて無意味だ。
 なぜなら「はい」と答えれば答えた瞬間にそれが正解になり事実になるからだ。
「ちなみに結婚すれば他人じゃない。戦死したらすぐ報せが来る。何があっても俺も一緒に責任を負う。俺は泣く。みんなの目の前で憚らずに大泣きする」
「……」
 空知はしばらく思案顔だったが。
 やがてそれがさっきの質問の答えであったことに気づいたのか表情が緩んだ。
「俺は空知さんを守りたい、けど戦場にいる君を守れない。死んで欲しくないし、行って欲しくもないけど、それは俺にはできない。政治家になって変えるつもりだけど、できる確証もないしそれまで君が生きていられるかもわからない。だから、君がどんなに痛くても耐えようと思えるように、どんなに辛くても絶対に帰って来たいと思える場所を作る。それでももし死ぬ時は死んでも怖くないって思えるように、君がどんな目に遭ってもそう思えるように、君を不安から守る。不安はただ待つだけの僕が全部背負う」
 空知はクスクスと笑いだした。
「何それ、誰かの言葉?」
「いや、メール交換した次の日からずっと考えてた」
 空知はひとしきり笑ったあと。
「……」
 何も言わずに。
 俺の手を握ってきた。
「…………」
「…………」
 特に言葉は交わさなかった。空知はまだ笑顔だった。
「それにしても政治家かー」
 考えたこともない夢だった。
「河辺君はそれなりに正義感もあるし、いいと思うよ」
 空知の声色がまた強くなった。ハッキリとしゃべるようになった。
「まあな。真っ当じゃない奴を野放しにしとくのもおかしいし、そういうの直すにも政治直さなきゃダメなんだよな、きっと」
「ところでいつ入籍するの?」
 極めてハッキリと空知は言った。
「へ?」
「今すぐだよね?」
「え……」
 空知の顔が近い。
 ベッドから身を乗り出して。
 胸元が少し開いた病院着のままで、点滴もつけたままで、椅子に座っている俺に身を乗り出して近づいてくる。
「だって私、次戦場に行ったら死んじゃうかもしれないんだよ」
「で、でもそう言っても、結婚するには年齢条件が」
「じゃあそれも政治家になって変えちゃいなよ」
「今すぐはなれないよ!」
 よくわからない奴だ、というのは出会った時から思ってはいた。
 でも、それにしてもだ。
 女性には結婚願望があるということを親とか相知とかから聞いていたが、ほんの少しそういう言葉を口にしただけでまさかここまで喰らいついてくるとは。
「……なんてね」
 って空知が呟いた直後。
 空知の顔面と俺の顔面が接触していた。
 鼻がぶつかって。
 おでこがぶつかって。
 そして。
「あっ……」
 唇の上に少し湿った、暖かい感触。
「今すぐは無理だろうから、約束で勘弁してあげる」
「……うん」
 返答を聞いて空知さんが笑った。
「あとナイフの使い方も教えてね、たぶん結婚式でステーキ出るから」
 そんな空知の言葉を聞いても上の空。
 だって今、俺、空知さんが、今のはキスだよな。
 後で相内に自慢しよう。そんなどうでもいいことばかり考えてしまった。

 P.T.C 終わり

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