更地のノート > 物語 > ひとつむぎ > 五月三日の章 田舎村観光 > 15/15
「どうしてって高熊窪に来たかって? えっと、おばあさんに手紙で呼ばれて」 『ったく、電話が繋がらないと思ったら。いいか、すぐ帰って来い! 今から出るんだ!』 「え? 何で?」 そういえばここに来てから携帯電話など一度も鳴らなかった。 今も画面を見れば電波は非常に弱いと表示されている。 『いいか、村の連中に関わるな。今すぐ出ろ、麓の町へ行けば宿くらいある!』 「でも」 『ええい、宿代は後で出してやるから!』 「いや、でも」 『何を悩むか、早くしろ! 苗字を言うな、何か聞かれても絶対答えるな! 今すぐだぞ!』 「今すぐ?」 『今すぐだ! 追って来られたら振り切っていい、殴っても構わんから絶対に何も答えるな!』 「え? えっと……出られないって言われてるんだけど」 『何ぃ!?』 その怒鳴り声以降、父の声は途絶えた。 「え、もしもし?」 返事はない。 「おい、父さん!」 『タ…マタ……ジャ、……か?』 「え? 何?」 『……ジャだ! そ……かい……のも……いを…………』 宗佑は電話から耳を離して画面を見る。 電波が圏外になっている。 「……」 通話が完全に切れてしまった。 「何なんだ」 とりあえず電話を放り投げ、布団へもぐりこんだ。 その目の前に銀色の刃。 「おわっ!」 枕元に立っているのは黒装束。昼間見たあの変な奴と全く同じ格好をしている。顔のすぐ横にあるはずの足は、黒い服の内側で薄く白いシルエットを作っていた。 「きさまは昭島宗孝の息子だな」 黒い出っぱりの頭部から声がする。いつの間に、と聞きたいがそんな場合ではない。 「何すんだよ、っていうかどっから入った!?」 「昭島宗孝の息子だな、と訊ねている」 「……そうだけど」 「ならばなおさら、この村から生かして出さん!」 刃物は一旦引かれ、勢いをつけて突き刺さってきた。 「うわーっ!」 避けられたのは運かもしれない。 畳の上を転がりながら距離を取る。本音は、転がったと言うよりは立とうとして転んだのだが。 「ちょっと待て、俺が何だって言うんだよ!」 「我らを知っただけで理由は十分!」 再び宗佑を狙う右手の刃。刃渡りは、包丁程度。 宗佑はがむしゃらに手を振り回して対抗するが、相手は出方に慎重さを加えただけで、決して怯んでなどいない。 「……こうやって啓太さんも殺したのか?」 と、間合いを取って宗佑は訊ねる。 「無論。この村から逃げることは許されん」 宗佑の隙を突いた刃の一断。 かろうじてそれを避ける。これもまた、半分以上は運の成せる技だ。 宗佑はまわりを見回す。 得物がないのはあまりにも不利だ。 「抵抗するだけ無駄だ、大人しく死ね!」 もう一度刃が宗佑を襲う。 「わーっ!」 切られる前から悲鳴をあげていた宗佑。 「待ちなさい!」 突如響いた声。 宗佑はそちらを振り返る。 刃は、宗佑が盾にしていた布団を切り裂いて止まった。 「その者は啓太に代わり私の息子になります」 黒装束は刃を戻し、雅美の方を見た。 宗佑も雅美を見る。ふすまを開けて顔だけ部屋の中に突っ込んで、今まさにここに来た様子だ。 「ですから、彼に危害を加えることは村の掟で禁止されます」 「……」 続いて、今度は窓が開く。 「新手!?」 と見て振り返った宗佑に写ったのは銀色に輝く白い服。 昨日の格好そのままの理穂だった。同じ部屋にいながら、暗闇に紛れるこの黒装束と、理穂の存在は対極とも言える。 「宗佑君は、明日にも私の夫となるんです」 理穂はそのまま歩き寄ってきて、宗佑の前に立つ。 「彼も村の一員になります。なら、秘密を知っていても殺す必要はないですよね」 「………」 黒装束は暫く考えていたようだが。 「………………ぬ」 踵を返して、窓から外へ出て行った。 「……鍵開けてたの? 無用心な」 と理穂はため息をつく。宗佑はそんな質問に答えるよりも。 「……なあ、今の会話の流れって」 皆まで言わせる前に理穂は笑った。 「決まっちゃったね」 「俺の意思は無関係?」 「今ここで死にたかった?」 「いや、そういうわけでは」 「じゃあ、そうするしかなかったわけで」 ここで雅美は黙って出て行った。ふすまをピシャリと閉めて。 「でも俺、学校もあるし、家もあるし」 「けど、他に方法がないとしたら諦めるしかないんじゃない? それって命より大事なものではないんでしょ?」 「……でも」 いきなり結婚だなんて言われて一晩で答えが出るわけがない。 「じゃあこう言えばいいかな」 理穂は着物を翻して見せる。 「私は、悪くないとは思うんだけど」 宗佑はその着物を見る。 昨日と同じ袴と白衣。しかし白衣とはいいつつも、薄い浅葱色が入っていて、白よりも爽やかな感じさえする。 「昨日の舞、きれいだって言ってくれたよね」 「え? ああ」 「それ、結婚式で披露するためのものだってのも、言ってあったよね」 「うん。……え? それって、つまり」 「明日は宗佑君のために、ってことになるね」 もう一度くるりと着物を翻して、理穂は窓へと歩いて行った。 エツと同じで、足音のしない身のこなしだ。 「いずれにしても、今はそうしないとあなたの身が危ないんだから」 「……」 「おやすみ。宗佑君」 縁側の外に下りる、サクッという足音。 遠ざかる草履の音。 ますます眠れない夜となった。 |