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「どうしてって高熊窪に来たかって? えっと、おばあさんに手紙で呼ばれて」
『ったく、電話が繋がらないと思ったら。いいか、すぐ帰って来い! 今から出るんだ!』
「え? 何で?」
 そういえばここに来てから携帯電話など一度も鳴らなかった。
 今も画面を見れば電波は非常に弱いと表示されている。
『いいか、村の連中に関わるな。今すぐ出ろ、麓の町へ行けば宿くらいある!』
「でも」
『ええい、宿代は後で出してやるから!』
「いや、でも」
『何を悩むか、早くしろ! 苗字を言うな、何か聞かれても絶対答えるな! 今すぐだぞ!』
「今すぐ?」
『今すぐだ! 追って来られたら振り切っていい、殴っても構わんから絶対に何も答えるな!』
「え? えっと……出られないって言われてるんだけど」
『何ぃ!?』
 その怒鳴り声以降、父の声は途絶えた。
「え、もしもし?」
 返事はない。
「おい、父さん!」
『タ…マタ……ジャ、……か?』
「え? 何?」
『……ジャだ! そ……かい……のも……いを…………』
 宗佑は電話から耳を離して画面を見る。
 電波が圏外になっている。
「……」
 通話が完全に切れてしまった。
「何なんだ」
 とりあえず電話を放り投げ、布団へもぐりこんだ。
 その目の前に銀色の刃。
「おわっ!」
 枕元に立っているのは黒装束。昼間見たあの変な奴と全く同じ格好をしている。顔のすぐ横にあるはずの足は、黒い服の内側で薄く白いシルエットを作っていた。
「きさまは昭島宗孝の息子だな」
 黒い出っぱりの頭部から声がする。いつの間に、と聞きたいがそんな場合ではない。
「何すんだよ、っていうかどっから入った!?」
「昭島宗孝の息子だな、と訊ねている」
「……そうだけど」
「ならばなおさら、この村から生かして出さん!」
 刃物は一旦引かれ、勢いをつけて突き刺さってきた。
「うわーっ!」
 避けられたのは運かもしれない。
 畳の上を転がりながら距離を取る。本音は、転がったと言うよりは立とうとして転んだのだが。
「ちょっと待て、俺が何だって言うんだよ!」
「我らを知っただけで理由は十分!」
 再び宗佑を狙う右手の刃。刃渡りは、包丁程度。
 宗佑はがむしゃらに手を振り回して対抗するが、相手は出方に慎重さを加えただけで、決して怯んでなどいない。
「……こうやって啓太さんも殺したのか?」
 と、間合いを取って宗佑は訊ねる。
「無論。この村から逃げることは許されん」
 宗佑の隙を突いた刃の一断。
 かろうじてそれを避ける。これもまた、半分以上は運の成せる技だ。
 宗佑はまわりを見回す。
 得物がないのはあまりにも不利だ。
「抵抗するだけ無駄だ、大人しく死ね!」
 もう一度刃が宗佑を襲う。
「わーっ!」
 切られる前から悲鳴をあげていた宗佑。
「待ちなさい!」
 突如響いた声。
 宗佑はそちらを振り返る。
 刃は、宗佑が盾にしていた布団を切り裂いて止まった。
「その者は啓太に代わり私の息子になります」
 黒装束は刃を戻し、雅美の方を見た。
 宗佑も雅美を見る。ふすまを開けて顔だけ部屋の中に突っ込んで、今まさにここに来た様子だ。
「ですから、彼に危害を加えることは村の掟で禁止されます」
「……」
 続いて、今度は窓が開く。
「新手!?」
 と見て振り返った宗佑に写ったのは銀色に輝く白い服。
 昨日の格好そのままの理穂だった。同じ部屋にいながら、暗闇に紛れるこの黒装束と、理穂の存在は対極とも言える。
「宗佑君は、明日にも私の夫となるんです」
 理穂はそのまま歩き寄ってきて、宗佑の前に立つ。
「彼も村の一員になります。なら、秘密を知っていても殺す必要はないですよね」
「………」
 黒装束は暫く考えていたようだが。
「………………ぬ」
 踵を返して、窓から外へ出て行った。
「……鍵開けてたの? 無用心な」
 と理穂はため息をつく。宗佑はそんな質問に答えるよりも。
「……なあ、今の会話の流れって」
 皆まで言わせる前に理穂は笑った。
「決まっちゃったね」
「俺の意思は無関係?」
「今ここで死にたかった?」
「いや、そういうわけでは」
「じゃあ、そうするしかなかったわけで」
 ここで雅美は黙って出て行った。ふすまをピシャリと閉めて。
「でも俺、学校もあるし、家もあるし」
「けど、他に方法がないとしたら諦めるしかないんじゃない? それって命より大事なものではないんでしょ?」
「……でも」
 いきなり結婚だなんて言われて一晩で答えが出るわけがない。
「じゃあこう言えばいいかな」
 理穂は着物を翻して見せる。
「私は、悪くないとは思うんだけど」
 宗佑はその着物を見る。
 昨日と同じ袴と白衣。しかし白衣とはいいつつも、薄い浅葱色が入っていて、白よりも爽やかな感じさえする。
「昨日の舞、きれいだって言ってくれたよね」
「え? ああ」
「それ、結婚式で披露するためのものだってのも、言ってあったよね」
「うん。……え? それって、つまり」
「明日は宗佑君のために、ってことになるね」
 もう一度くるりと着物を翻して、理穂は窓へと歩いて行った。
 エツと同じで、足音のしない身のこなしだ。
「いずれにしても、今はそうしないとあなたの身が危ないんだから」
「……」
「おやすみ。宗佑君」
 縁側の外に下りる、サクッという足音。
 遠ざかる草履の音。

 ますます眠れない夜となった。

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