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 第二章 川畑ギブス(2/2)



 死ににいくような気持ちだ、とはいってもいつも通りの行動で臆することもなく僕の足は進んだ。
 学校に着いた。
 
 下級生は将来のことなどロクに憂いてもいない。
 同級生ですら大半の人は進学か就職で希望とやらを抱いている。
 僕は。
 今日死ぬかそのうち死ぬかいつか殺されるか、なんて酷い選択肢に悩んでいる。
「おはよう川畑君。今日の説明会行くんだって?」
 後ろから声をかけられた。
「あ? ああ」
 いつも教室で寝ているクラスメイト、空知だった。
 このところ学校を休んでいて、停学なんてうわさも流れていた人だ。僕が軍に行かされることになっているなんて、どこで知ったんだろう。
「よろしくね」
 よろしく?
 どういう意味だ?
「私も軍に行くよ」
 ……そうか。いつも寝ていて勉強する権利を放棄したこいつは僕と同じ結末を迎えたわけだ。
「……ああ、よろしく」
 どうせ死ぬ僕に、無意味な出会いが増えた。
 
 下級生は将来のことなどロクに憂いてもいない。
 同級生ですら大半の人は進学か就職で希望とやらを抱いている。
 僕は。
 今日死ぬかそのうち死ぬかいつか殺されるか、なんて酷い選択肢に悩んでいる。
「おはよう川畑君。今日の説明会行くんだって?」
 後ろから声をかけられた。
「あ? ああ」
 いつも教室で寝ているクラスメイト、空知だった。
 このところ学校を休んでいて、停学なんてうわさも流れていた人だ。僕が軍に行かされることになっているなんて、どこで知ったんだろう。
「よろしくね」
 よろしく?
 どういう意味だ?
「私も軍に行くよ」
 ……そうか。いつも寝ていて勉強する権利を放棄したこいつは僕と同じ結末を迎えたわけだ。
「……ああ、よろしく」
 どうせ死ぬ僕に、無意味な出会いが増えた。
 
 説明会は学校の教室の一つで行われた。
 一七時。部活以外で学校に残っている生徒はいない。
 そんな部屋に僕と、空知と、ほかにも何十人もの生徒、男女比はだいたい半々。昔の戦争は男だけが戦ったらしいが今この国でそんな非合理的なことは行われない。男も女も同じ戦力を持った同じ価値の命で、重視されることも軽視されることもない。
 十七時十五分。三人の男が入ってきた。
 一人は校長。お知らせの文書でよく顔が載っているから覚えているが会ったことはない。
 残りの二人は丈の長いグリーンのコートに身を包んでいる。コートの所々には赤と金の装飾が施されている。軍の制服だ。
「全員そろったようですね」
 と、真ん中に立ったコートの男が言う。白髪交じりの髪をオールバックにし、鋭い目つきで一堂をにらむ。
「先に言っておきますが、あなた達には誇りと尊厳のある仕事をしていただきます」
 言葉づかいそのものは丁寧に違いない。
 だが普段の授業で聞くような、「先生」という職種の人間が放つ言葉では到底ない。自分に対する自信と、相手を屈服しようとする意思が見え隠れする強い口調だ。
「誇りと尊厳がある代わりに、命の保証はありません」
 知っていたことだ。
 軍とはそういう仕事だ。
「我が国は至って平和です、さしあたって脅威もありません。ですがそれは他国へ軍事力を供与し、我が国の立場を優位に立たしめているからこそであります」
 そう。
 この国は常に平和であり、交戦国でもある。
「諸君らには戦場に行ってもらいます。また万が一の有事の際には我が国の国民を戦闘に動員するにあたり、国民の模範となり戦い方を教え、先頭に立って戦ってもらいます」
 逃げ道はない。
「訓練は周到に行います。尊敬を受けるに足る立派な軍人になってください」
 逃げ道は無い。
 逃げ道は、無い。
 逃げ道は。無い。
 無い物は無い。無い物が有ったらそれは無い物ではない。無い物は無い。無い物が有ることは無い。無い。無い。無い。無い。
 僕が死から背を向ける時は死ぬ瞬間まで絶対に来ない。与えられない。無い。
「そこの君、ずいぶん怖い顔をしていますが体調が悪いのですか」
「え? あ」
 僕のことだった。
「い、いいえ」
「そうですか。軍人たるもの、体は大事にしてください」
 男はそう言ってから、再び教室を見回した。
「いいですか、我々はあなた方を殺すわけではありません。生存のため精一杯の努力をします」
 この冷徹で鋭い表情に丁寧な言葉のミスマッチがどうにも不気味だ。
「人は高いですからね、そう簡単に死なれては我々も困りますから」
 男の後ろにいたもう一人の男が少し笑った。
「皆さんの顔と名前、そして出頭の意志は拝見しました。我々の話はここまでです。四月一日に訓練所に来ていただきますから、それまでに身辺整理をしておいてください。持ち物は命だけで結構です。ああ、訓練所までの道を歩くのに恥ずかしくないような服を着ることは自由です」
「そうだな、それ以外に何も要らないな。ハハハ」
 二人の男は一歩下がって頭を下げた。
 僕らも一応お辞儀をする。でも僕の頭の中は真っ白だ。
 僕らの命はあいつらの道具になる。
 あいつらはなくさないように努力するのだろうが、なくなったら新しく買えばいいというくらいにしか考えていない。
 たった一つしかない人の命をだ。
「えー、人事部のお二方でした。どうもありがとうございました」
 校長と思しき男が場を引き継ぐ。
「えー、そこのあなた。真っ青な顔をしているようですが」
 今度は僕ではなくて教室の前の方にいる女子生徒だった。
 飾り気のかけらもない癖っ毛にそばかすだらけの顔。地味で目立たなくて自分を磨くことにすら興味がないのだろう。
 校長は、主にその子へ向けて。
「今日まで勉強しなかったおまえらが悪いんですよ」
 と言った。
「えー、あなた方は勉強してもしょうがないので、三月三一日まで自由登校とします。卒業できなくてもそのまま採用されます。授業を受けるもよし、受けないもよし。好きにしてください」
 誰も何も言わない。
 授業がない。長い長い春休みだ。なのに嬉しくもない。
「それにしても今年の生徒は優秀でした」
 と、言いながら校長は人数を数える。
「全員出席。素晴らしい。例年なら大抵出てこない人がいるんですよね。そういう人がどうなるか示すいい機会だったのですが、いや今年の皆さんは優秀だ。でもせっかくなので」
 と、校長は突然プロジェクターの電源を入れて部屋を暗くした。
 映像が投影される。
「……あっ」
 これは。
 この学校のこの教室を俯瞰した地図だ。黒い背景に輪郭が描かれている。
 場所もフロアも正確。まぎれもなくここ。学園内の視聴覚教室。赤い点が無数に光っている。政府にアクセスして個人の位置情報を割り出したのだ。
「いつもなら、逃げたらどうなるかバカな奴に身を持って味わってもらうところだったんですが。四月一日もこの調子で頼みますよ、学校の評価に響きますから」
 教室の明かりが点く。
 校長が立ち去る。
 可能性なんか何一つ提示されなかった。
 想像通りの仕事を何の選択肢もなく押し付けられただけだった。
 もっとも、選択肢はこれまでの人生の中で無数に提示されていたのだが。
「やー、楽しみだね」
 と、今朝声をかけてきた女子生徒がまた話しかけてきた。
 この人は、ええと。
「空知さん」
 これから死ぬ僕に必要のない、新しい知り合い。
「楽しみって……」
「誇りのある仕事でしょ? 私はそういうのを待ってたのよ」
「誇りって……。君の親は止めたりしないの?」
「べつに」
「怒られたりは?」
「いないから、親」
「あ……ごめん」
 聞いてはいけないことだったようだ。
「べつに。事実だし。君のところは?」
「……怒られなかった。様子がおかしいんだよ」
「ふーん、親っていうのはそういう時は怒らないとおかしいものなんだ」
「どうなんだろう、僕は怒られると思ってた」
「どうして?」
「ずっと勉強しろって怒られて、しなかったのがこの結果で。だから勉強しろと言ったのに、って言われると思った」
「んー」
 空知は少し首をかしげて。
「いい親じゃん。でもきっと、自分達の育て方が悪かったって責めてると思うよ」
「……」
 だから。
 だから親は怒らないんだ。
 親は僕を責めないんだ。
でもきっと僕をそんな風にした自分達を責めているんだ。
「だって、今からあなたを怒ったってもうどうにもならないでしょ」
 それはそうだ。
 今から鞭打って勉強したって何の意味もない。
 もう結果は出てしまっているのだから。
 そうだ。
 もう怒ってすらもらえないんだ。
 そして、だから違和感を覚えたんだ。僕は怒って欲しかったんだ。
   
 家に帰るとまた父は帰ってきていた。母は夕食の支度をしていた。
「父さん……」
「おう、帰ったか。説明会はどうだった」
「……」
 前向きになんか、ならないでくれ。
「ん? どうした?」
「……」
 どうしようもないとしても誰かのせいにしてくれ。
 父さん達は悪くない。
「ん?」
「……」
 僕が悪いのだから。
「……ごめんなさい」
 それが一番最初に出てきた言葉だった。
「こんな子供でごめんなさい。せっかくここまで育ててくれて、感謝しています。素晴らしい日々でした」
 母が火を止めた。
「でも、ごめんなさい。僕は出来の悪い子供で、ロクに勉強もしなくて、結局、それで結局……」
 僕が一番つらいのは。
 僕の一番の過ちは。
「あなた達を悲しませることになってしまいました」
 何の意味も成さない謝罪。
 これから命の保証がなくなる僕の、二人の愛の結晶である無駄な僕の。
 父は黙っていた。
 母も黙っていた。
 この二人が。
 僕を育ててくれた、この世に僕という存在を作り出してくれたこの二人が。
 悲しむだろう。
 そして自分を責めるだろう。
 僕が僕であったばかりに。僕を作ったことを。僕を僕に育てたことを。
 死ぬのが嫌だ。この家族が壊れるのが嫌だ。でもそれ以上に、何よりも、この二人が僕を作ったがために傷つくのは一番嫌だ。
 それでも。
「それでも僕は、幸せでした」
 僕は生まれてきて幸せだった。
 だけどこの二人の子供として生まれてきたがためにこの二人を傷つけてしまう親不孝者だった。
「ギブス」
 父がやっと口を開いた。
「生きろ。定年まで生き延びろ」
「……」
「勉強はしなかったな、確かに。俺達の言いつけを守らなかった」
「……」
「悔いるなら、今度こそ言いつけを守れ。やり遂げて見せろ」
「……はい」
 確約できない約束。
 意味のない約束。
 それでも。

 第二章 川畑キブス 終わり

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