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 第三章 河辺博輔U(1/3)



 すっかり秋めいた、と言いたいところだが。
 空調の温度を少し下げたのと、照明の昼間モードの時間が短くなった程度で。そんなものは演出に過ぎない。
 この国で本物の太陽を見ることができる場所は限られている。ビルの上層階と、外側を向いている部屋だけ。それすらガラスが脆弱なので窓は少ないし小さい。
 たまに思う。
 わざわざ外の環境を再現するくらいなら、外に出ればいいものを。
 でもそんなことを言うのはタブーだ。
 少なくとも殆どの大人は子供にそう教える。
 外に出る唯一の現実的な手段は軍に入ることだからだ。
 それを理由に軍に入ったりしないように、子供を大切にする親であれば絶対に「外に出たい」などとは言わせない。
 
 今日も相内は女子生徒を侍らせて話している。
 と言っても俺は最近気づいた。
 相内が侍らせているのは本当は一人。内藤京子。
 他の女子は内藤がただ連れているだけ。周囲からカップルとみられることに抵抗があるようで、あくまで仲良しグループに相内を引き込むという体裁で一緒にいるようだ。
 ずいぶん回りくどいことをしている、と思う。
 相内の言っていることもくだらない。春から働くだの、それが食べ物の工場だの、ボーナス出たら一番上の階のレストランで食事したいだの、もちろん内藤さん達も連れて行くだの、それが俺の夢だの。
 聞いていて失笑してしまう。「内藤さん達」って言っておいて相内が見ているのは内藤だけだ。他の女子なんか飾りでしかないのだ。
 それにしても最近相内が俺に冷たい。
 理由も解っている。
 もう相内に友達は必要ないのだ。内藤さんさえいれば。
 まあ俺はそれでもいい。相内はきっと彼女を大事にするだろう。
 それで、もし付き合ってうまくいかなかったらフラココに誘ってやろう。
 フラれたらココこいよフラココってな。
「何笑ってるの?」
 と誰かに話しかけられた。
「え?」
 慌てて口元を押さえる。俺は一人笑いをしていた。
「いやあ、なんでもないよ」
 口を押えたまま顔を上げると空知がいた。
「おはよう、お久しぶり」
「あ、ああ。おはよう」
 一か月ぶりだろうか。
「一人で笑ってたけど」
「ごめん、腹黒いこと考えてた」
「ふーん」
 さして興味も示さず俺の隣の席に座る。その席の主は、今は相内を取り巻いているから当分戻ってこないだろう。
「今日はどうしたの?」
 空知は進路が決まったから学校に来ないって言っていたはずだ。
「べつにただの気まぐれ」
 それだけ言って空知は黙る。
 黙って俺の隣に座っている。俺を見ている。
 これは、アレか。俺が喋らないと場が持たないのか。
「そういえば、空知さんの進路って結局なんなの?」
「軍」
 ちょっと返事ができなかった。
 空知が言葉を番える。
「川畑君も一緒だったよ」
 そういえば教室の後ろの方にもずっと授業を休んでいる奴がいた。彼も軍だったのか。
「そっか、軍だったのか。けど学校休んじゃって、勉強は」
「必要ないよ。入隊して一から教わるから」
 何も言えなかった。
 空知の家族は、と言おうとしたけれど彼女に家族はいないのだった。
 先生は、と言おうとしたけれど愚問だった。誰も入りたがらない穴を自ら埋めてくれる人を先生が拒むはずはない。学校に来なくていいというのもそういう面からの優遇というか何なのかの意味合いだと思う。
「何か?」
「いや」
「私は魅力を感じて自ら志願したんだよ。悪い?」
「悪くは無いけど」
 ものすごい違和感。
 目の前にいる人は、春には軍人になっている。
 輸出され、誰かのために戦う、金で命を売る人。
 テレビの中の人。
 そう思っていたはずだった。そういう存在だった。
 そして彼女は平然としている。
「今日はね、授業を受けに来たんじゃないんだよ」
「え、何しに来たの?」
 制服を着て学校に、勉強以外に何をしに来るんだ。
「今日は河辺君とご飯を食べに来た」
「へ? 例の約束は終わったんだよね?」
「だから。ご飯を食べに来たんだよ」
「え……」
 大真面目にこの人は何を言っているんだ。
 助けを求めるように周囲を振り返ると。
 相内達もこっちを見ていた。
「仲、いいんだな」
「な……」
 相内の取り巻きの女子達も目を丸くして俺と空知を見比べていた。
「要は河辺、おまえに会いに来たってことだろ? 熱いじゃん」
「ちょ」
 いくらなんでもそれは空知さんに失礼だろうと思って、今度は俺は空知を見る。
「まあ、それ以上でもそれ以下でもないし」
 と空知は平然と言った。
 相内も苦笑いをして。
「空知、おまえ面白い返し方するな」
「そう?」
 それ以上でもそれ以下でもない、か。
 つまりそこにあるのは俺とご飯を食べたいという、裏も表も何もないただそれだけの意思。

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