更地のノート > 物語 > ひとつむぎ > 五月二日の章 初見の従兄弟と婚約者 > 1/5
バスを降りた途端、宗佑は身震いをした。 バスの中がポカポカしていたせいだろうが、それにしたって寒い。もう五月だというのに、こんなに冷えるのはいったいどういうことなのか。 「ぁあああーっ、疲れたっ」 伸びをしながら、アスファルトの道路から未舗装の脇道へと下る。 砂利道はすぐに細くなり、小さな石橋を渡って、さらに平地の田んぼの中を行く。周囲にはポツポツとしか家が見当たらない。その田んぼにはもう水が引かれていて、本当は暖かいはずだという宗佑の認識を裏付ける。なのにここは間違いなく寒い。 舗装された道と合流し、今度は延々と細い舗装路を歩くことになる。今までの砂利道は、県道とこの舗装路との近道で、バスの利用者が通る道のようだ。 遠くでは耕運機が走っていて、手前の牛舎からはいかにもそれらしい悪臭が漂ってきた。遥か遠くにさっきのバスが走っているのも見える。カエルらしき生物が大合唱をしているのが聞こえる。 遠くに見えていた山にこの道はすぐに突き当たり、途端に道路の傾斜がきつくなる。と言っても、歩いていれば大したものではない。両側が切り通し状になっていて、背の高い木が道を覆っていて、空が見えにくくなるほど鬱蒼としている。足元へ目をやれば、切り通しの土の壁からは水が染み出ていて、アスファルトにも土やら腐った葉っぱやらが堆積していて、あまり気持ちいいものではないが。 登りきっても道の両側は森で、電柱とアスファルト以外に人の建造物が見当たらない。不法投棄のゴミさえ見当たらない。後は、時折地蔵か何かが道の脇にあるくらいだ。そんな場所を、道は右に左にカーブしながら分け入って行く。よくこんなところに道を作る気になったと宗佑は思う。そして、こんなところを抜けた先にわざわざ集落を作った先人の無駄な努力に呆れ返る。 先ほどバスに乗る前、運転手に「高熊窪」の名前を出したら、ぶったまげるという言葉をそのまま体現してくれた。 宗佑も、今はそれと大差ない顔で自分の行く先を見ている。 バスの運転手の話では、歩いて一時間でも着かないそうだ。 ふと、エンジン音が聞こえた。エンジン音に混じって、人の話し声も。こんなところで車が来るのか。振り返ると、荷台に乗った髪の長い女性が、身を乗り出して運転席に話しかけている。そんな水色の軽トラがこちらへ向かってくるのだった。 「おい、こっちに何か用か?」 水色の軽トラの運転席から、そんな声が聞こえた。乗っているのは老人と中年、そして荷台の女性の三人。運転席には中年の女と、助手席の窓からは婆さんが手を振っている。が、荷台の女性はすぐに顔を引っ込めた。 前席の二人は、そんなことを気にも止めず宗佑に話しかけてくる。 「どこに行かれんがか?」 「え? えっと、高熊窪へ」 「…………」 老婆は一瞬だけ、何か思案したようだが。 「まあええわ、先は長かれど乗って行かれ」 もちろん軽トラの座席なんて二席しかない。荷台に乗るのだ。 「いいんですか?」 「歩いたら、おらの足なら二時間ほどかかるがに。どこん家だ?」 「え? ああ、あの、昭島っていう」 「ああ、昭島さん家が。まあ乗れ」 「じゃあ、お言葉に甘えますよ」 先が長いことは重々承知している。思いがけない幸運とばかり、宗佑は荷台に乗り込んだ。 下半身に力を込め、両足を振り上げる。自分の体だけならこの程度の高低差なら大した問題ではない。 荷台にいた先客は長い髪の女性。遠くから見た時は幼く見えたが、間近で見ると意外と大人に見えた。 「どっから来られたんですか?」 「え? ああ、大阪から。実家は東京なんですが」 「へぇー」 彼女は目を丸くする。 「乗ったか?」 「あ、はい」 宗佑が答えるよりも早く、実はもう車は動き出していた。 彼女はそれ以降、特に宗佑と目を合わせず、また宗佑も彼女の顔を見ないでひたすら外を眺める。 車は随分長い上り坂を越え、やがて下り坂に差しかかった。こちらは登って来る時と違い、かなり傾斜がキツい。 「あ、暎子姉ちゃん」 道端の家に顔を突っ込んでいた、彼女より五歳ほど違う少女が手を振った。運転していた女はそれに気付いてブレーキをかける。少女の方も、家から離れてこちらへ駆け寄る。 「暎子姉ちゃん。理穂ちゃんのあれ、もうすぐっちゃろーが? いつやんね?」 暎子姉ちゃんと呼ばれた荷台の女性は、身を乗り出してその子のすぐ傍に寄る。 「まだ決めてないけど、月の中頃までにはやるって」 「そか。えらいなあ」 「べつに私達は困らんけど」 「んなこと無かれど。暎子姉ちゃんは理穂ねぇの親みたいなものっちゃろ?」 「全部昭島の兄ちゃんにやらすわ」 「そか。……と、あれ、その男の人は誰?」 指された宗佑は一瞬たじろいだ。 暎子と呼ばれている女性が先に答える。 「大阪から来られた」 「大阪? したら関西弁? 芸人みたいな」 「いや、実家は東京っちゅこんで。訛っちゃおらんみたいよ」 「ふーん」 やけにのんびりした口調で喋る少女は、やがて車から離れて。 「そいじゃ、暎子姉ちゃん、またな」 「ショウ子はどこへ行くねが?」 「街までお買い物」 「そか。気ぃつけられ」 車は動き出し、今少女が出てきた家の前を通る。 ゆっくり走っていたので玄関がよく見える。中は薄暗い。太い柱の目立つ古い家だった。 横の表札が、ふと目入る。 「……あれ」 家族全員分を書いてある大きなプレートだったが、ショウなんてつく名前はない。 てっきりここは少女の家かと思ったが、どうやらそうではないらしい。さっき彼女がここにいたのは、同じ地域に住む者としての交流だったのだろう。田舎ならではの風情なのかもしれない。 やがて車はまたひとつの丘を越えて、鬱蒼とした森の斜面を抜け、ところどころに田んぼが見える浅い谷へと差しかかった。その向こうには、右にも左にも森と丘が見えている。真ん中の小川は用水路の役割もある。疎らではあるが、既に水を引いた田んぼもある。田んぼのド真ん中や森の陰など、無造作に民家が建っているのが見える。正面右の丘の上には、少し背の高い大きな建物。学校のようだ。 ちょっとした集落の中の十字路をまず左に曲がった車はそのまま短い切り通しを抜ける。すぐまた視界が開ける。今度は田んぼの中で左折し、砂利道に頭を突っ込んだところで停止した。 |