更地のノート > 物語 > ひとつむぎ > 五月三日の章 田舎村観光 > 2/15

 

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 表に出ると、この村の田んぼが延々と先まで見えた。夕べと同じ、光度だけが違う光景だ。
 昨日宗佑が来た方角の山まで一帯全てが田んぼになっており、ところどころにポツリと家が見える。逆に言えば、それ以外は田んぼと、それらを盆地状に囲む山のみ。
「ごめんなさい、こんな一大事に飯なんか食ってて」
「構いませんよ。それに啓太は家出を何度もやったことあるし」
 理穂と、着替えた宗佑とは連れ立って家を出た。
 遠くには、エツと思しき人影が田んぼの畦を歩いている。
 右手には、今雅美が山の方へ歩いて行ったところだ。
「ったく、奴は何やってんだか」
 理穂はブツブツと、どこか楽しげに、しかしどこか苛立たしげに呟く。
「俺も手伝います、探すの」
 と宗佑が言うと、理穂の表情は全て笑いに置き換わった。
「あなた、道も知らないでしょうに……」
「………」
 理穂は一歩前に出て。
「じゃあ、一緒にあのバカを探しますか」
 と、昨晩の舞を思わせるしなやかな動作で歩き始める。

「あ、理穂ちゃん」
 道の脇の田んぼから唐突に声をかけられる。
「奈々子ちゃん」
 理穂もパッと振り返る。
 田んぼにいるのは、田植えをしている最中らしい二人。
 いずれも若い男と女。男は興味なさそうに田植えに勤しみ、女の方は手を止めて理穂の方を見ている。
「どうしたの? こんな方に」
「ちょっと人探し」
「……で、隣のその人は?」
 田んぼの中にいる女は、宗佑を指差す。
「啓太の従兄弟。東京から来たんだって」
「え、東京!?」
 それまで興味なさそうにしていた男の方までもが宗佑を見た。
「東京から、わざわざこんなところまで?」
「そう」
「ってことは……」
 と女が言いかけて、男が慌てて女の口を制す。
「バカ、言うなって」
「……そっか」
 二人の会話は結局丸聞こえだった。
「……何ですか、あれ」
 宗佑は理穂に小声で尋ねてみる。
「まあ、あなたに関係あることじゃないです」
「はあ」
 理穂はそれから、一歩田んぼに近づいて。
「ねえ、こっちの方に啓太来なかった?」
「は? 啓太?」
 田んぼの二人は今度は素っ頓狂な声をあげた。
 二人で顔を見合わせて、それから同時に理穂を見て。
「来られんよ」
 理穂はため息をつく。
「啓太がどった?」
「いや、今朝から行方不明だって。今探してるの」
「ええええええ」
 二人は再び同時に素っ頓狂な声を。
 最初、男の方が黙っていた時は全く感じなかったが、この二人、よほど気が合うらしい。
「……理穂ちゃん、大変ね。婚約者に逃げられちゃって」
 と、女は笑ってみせる。
「大変よ、もう」
 と言った時の理穂は、初めて、本当に心配していそうな顔を見せていた。

「こっちの方には来てないみたいだし」
 と言いつつ、理穂は今の二人に挨拶だけをして踵を返す。
「この先は行き止まりだから、まあどうせ来ないだろうけどね」
 言われて振り返ってみれば、確かに。この砂利道はこのまま森と山に突っ込んでいるが、その先に続いているようには見えない。
「今度はこっち行ってみようか」
 少し戻ったところに、ついさっき通った十字路がある。どちらも砂利道で車の轍もついている、大変立派な砂利道≠セ。
 さっき真っ直ぐに通ったここを右に曲がる。こちらもすぐ先に山が迫っているが、その麓にはやや密集した民家が見える。
「この辺が村で一番栄えてるところだよ」
 と言っても、道の脇に家が貼り付いている程度だ。その家の裏は田んぼか畑である。
 やがて道は山と共にある森の中へ分け入り、真正面に長い階段を見る。道はそこで途切れていた。いつの間にか、足元の砂利も小石を敷き詰めた人工的なものに変わっている。
 周囲の建物の密度も、この階段の下が最高潮になる。ただの家だけでなく、茶屋や売店のようなものまで見受けられる。ちょっとした観光地の様相でもある。
「ホントにこんなところに来てんのか?」
 宗佑は心配になって理穂に訊ねる。
「まあ、探すに越したことは無いし」
 と言って、理穂は階段の一段目に足をかけた。
「げ、これ登んの?」
 宗佑は思わず上を見る。
 急な斜面に沿っての急な階段。上の端は全く見えていない。そもそも、何でこんな山へ向けて道があり、階段があり、おまけにそのふもとにこんなに店や家が密集しているのかすらわからない。
「登るんです」
 無情にも理穂はその階段を登り始めたのだ。
 宗佑はじっくりと階段を見据える。
 まず足元の小さな石柱に、文字が彫られているのを見つけた。
「鎮守多咸高麻達仁神社……何て読むんだ?」
 宗佑は更に顔を上げる。
 古い石を積んで作られた古い階段だ。特に改修された様子も無く、手すりなどという親切なものも無い。階段と階段でない斜面の境目に、膝までの高さも無いような石造りの柵があるのみ。そんなものは飾りでしかない。
 しかも、年数をコーティングした表面には苔まで生え、おまけにところどころ石が欠けた場所もある。一段一段も高く、足の踏み場は小さく、ジーパンが足の動きを大きく妨げる。登り易い要素など何ひとつ無い。
「チンジュ、タカコマタニ神社だよ…………もうお疲れですか?」
 遥か上から理穂が振り返ってこちらを見ていた。
 

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