更地のノート > 物語 > ひとつむぎ > 五月三日の章 田舎村観光 > 4/15
「も……もう無理」 最後の一段を登り切ったところで宗佑は遂にしゃがみこむ。 「遅い」 理穂の息は全くあがっていない。宗佑の方は呼吸が追いついていないほど疲れているのにもかかわらず、だ。 「君が速いんだよ」 「これでも啓太よりはずっと遅いんだけど」 階段を登り切ったところにある鳥居をくぐれば、猫の額のような狭い狭い境内が見えた。 全方向は森に囲まれていて、正面は社と山。左も山の斜面。右手と背後には崖のような急斜面。木々の合間からははるか眼下の田んぼと、そのずっと向こうの山々が見える。近くに見えている山よりもこの境内の方が更に高い。また、その背の低い山々は幾重にも隙間無く連なり、ずっと向こうの高い高い山まで人の建造物などかけらも見当たらない。見える人工物は、手前の眼下の田んぼと、今登ってきた階段の下に見えるわずかな集落だけである。 「高いなぁ。疲れるわけだ」 「お疲れ様」 右手の斜面ギリギリの位置に手水舎がある。理穂はさっさとそこまで行って柄杓を取り、二つあるうちの片方を宗佑に差し出した。 「喉渇いたでしょ」 「飲んで大丈夫なのか?」 「大丈夫だよ。高熊窪のおいしい水だし」 「いや、マナーとか作法の面で」 「平気平気。みんなやってる」 口に含めば染みるほど冷たい。昨晩の水のことを思い出した。 あの時は気分が優れなかったために味までは感じなかったが、今にして思えば、あの水もこの水も、宗佑の知るどんな水道水よりも明らかにおいしい。 「おいしい?」 「え? ああ、東京のよりも大阪のよりもずっとおいしいよ」 「やっぱり。今、すごくおいしい≠チて顔してた」 「……俺が?」 「そう。さすが従兄弟ね。啓太にそっくり」 柄杓を戻して、それから振り返る。 大きな社が、更に高い山を背景にして、二人に向けて構えていた。 「……あれ、俺、啓太さんの従兄弟だって言ったっけ?」 「違いますか?」 「いや、従兄弟だけど。そういえばさっきも知ってたよな」 「あなたの話は何度も啓太から聞かされてるよ、宗佑君。一度会ってみたかったんだって、啓太はしょっちゅう言ってたし」 理穂は社へ向けて歩き出す。 飾り気の無い、質素なものではある。賽銭箱は一般の神社と同じように本殿の扉の前に置かれてあり、これまた普通の神社にあるような鈴と紐が吊り下げられている。 「こんなところに啓太さんいるのかな?」 「さあ? 子供の頃はしょっちゅうここで遊んだんだけどね。それに村で何かあった時は、この村の鎮守の神社に来るのは当たり前のこと……まあ、形だけだけど」 と言って、理穂はお参りもせずに社を素通りして、その左脇に回る。 「どうしたの?」 ついていくと、社の脇と左側の斜面の間に小さな通路があった。斜面を切り開いたものらしく、土の地肌がむき出しになって迫っている。 それを抜けた奥には、少しだけ広がった空間があった。 わずかな広場。斜面と、今の社の背中と、もう一棟の社に囲まれている。その一棟は神社とは思えない造りで、床は宗佑の肩ほどまで高く、建物をぐるりとむき出しの廊下が囲んであり、その奥の建物本体は雨戸で閉ざされている。先ほどの社とも木製の渡り廊下で結ばれているようだ。また、その奥にももう一棟、平屋の建物が見える。これは一般的な住宅で、恐らく神主の住まいだろう。 「ここがどうかしたの? こんなところに啓太さんはいないと思うけど」 「うん、べつにどうってことは無いんだけど」 理穂は二〜三度まわりを見回して。 「ここはね。結婚式をやる場所だよ。昔散々友達と遊んだけど」 |