更地のノート > 物語 > ひとつむぎ > 五月三日の章 田舎村観光 > 6/15
来る時はあれほど苦痛だった階段を一気に駆け下りる。 両側を建物に囲まれたこの階段下の広場の一角は、日がちょうど真上に昇った今、この山の木々に遮られて緑の日陰となっていた。 その一角に、中学生くらいの少年が立っている。 彼はこちらに気づくと、「あっ」と声を上げて駆け寄ってきた。 「リー姉!」 その声に理穂が反応したのを見ると、どうやらリー姉とは理穂のことのようだ。 「ビックリしたよ。お嫁に行っちゃうなんて」 「ここの人はみんなこうでしょ。それに、私も相手は最初から決まってたんだし」 「日付ぜってー教えてくれよ! 俺な、リー姉の結婚式絶対行くから!」 「はいはい」 理穂は笑って返す。 一方の少年からも笑顔がこぼれている。 短く刈られた頭は昔式の、いかにも「少年!」といった感じだが、いささか古臭い感も否めない。スポーツをやっているならお似合いの髪型だが、日焼けの具合を見ると特にスポーツ少年というわけでもなさそうだ。 「リー姉。今日は田んぼ、いいの?」 「いやぁ、それが、それ以上の重大な用事が……ねえ?」 ねえ、と振られても困るから、宗佑は適当に頷いておく。 「ん……そっちの男は?」 「東京から来たんだって。啓太の従兄弟らしいよ」 「え、従兄弟って何?」 「親の兄弟の子供」 「親の兄弟の息子……それって、親に兄弟がいなきゃできねーじゃん。おかしくね?」 「そうだね。でもホラ、啓太のお父さんって兄弟だし」 「でもさでもさ、それが何で東京にいんの? やっぱおかしくね?」 少年は興味津々というよりは若干訝しげに宗佑と理穂を見比べる。 「そーゆうことはいいの。お客さんなんだから失礼でしょ」 「そっか」 まだ少年は宗佑を疑っているようだが、やがて目を細めて。 「でもすげーな、東京者かよ。リー姉、凄い友達いんのな」 「将来の親戚だけどね」 宗佑は慌てて理穂の顔を見た。 理穂もそれにすぐ気づいて。 「何? どうかした?」 「いや、そういえばそうなんだな、って」 「そう。だから昭島家の家系図なんかも教えてもらってるよ」 「ああ、それで俺が従兄弟だって知ってたのか」 「まあ、そんなトコ」 昼のチャイムが鳴り始める。 学校のチャイムと同じメロディ。 放送設備はこの近くにあるようで、大きな音に会話が途切れてしまう。 大音量は向こうの丘に当たって乱反射を起こし、エコーが残響となって山々へと消えていく。 「田舎はこれだからねぇ」 と理穂が言う。 「都会だったらもっとダメだよ、ビルに反響しちゃって」 「そうなの?」 と言いつつ、腕時計を見た理穂は。 「うーん、十二時か」 放送を聞けば解る事実を敢えて繰り返し提示した。 「お昼、どうする?」 「え、お昼?」 「お昼よ、お昼ご飯」 「どうって……」 普通に考えれば、昭島邸に戻ってエツと雅美に用意してもらうのだが。 「財布持ってる? 持ってるなら、ちょうどここ来たし、ここで食べて行こうよ」 と指すのは、先ほど少年が立っていた横にある建物。普通の二階建ての家に大きめの扉をつけて暖簾をかけただけのような造りだ。 「これは?」 「高熊窪で唯一の食堂です」 「です!」 自慢げに少年も文末だけ繰り返し、宗佑にアピールする。 「財布は持ってるね?」 「え? うん」 「よし」 理穂は早速暖簾を押し分け。 暖簾に首だけ突っ込んだところで、隙間から宗佑と少年を振り返る。 「淡理は、待ち合わせ?」 「うん、蓬と」 「じゃ、末永くお幸せに」 「リー姉こそ」 その言葉を待って、理穂は完全に暖簾の向こうへ消えた。 「じゃ」 宗佑も後を追おうとする。 「あ、兄ちゃん」 振り返れば、少年がニヤニヤ笑っていた。 「この村、いいだろ」 「……うん」 「じゃあな」 中学生くらいに見えるのだが、話し方といい小学生そのものだった。 |