更地のノート > 物語 > ひとつむぎ > 八月一日の章 罪業妄想 > 1/2
「ただいま」 約三ヶ月ぶりに開く鉄の扉は重くて冷たくて、中からも同じように重くひんやりした空気が漂ってきた。 「おお、帰ったか。待ってたぞ」 宗佑の父親、宗孝はリビングでたばこを吸いながらテレビを見ていた。 台所からは髪を結い上げた母が。 「お帰りなさい。バイトを準備しといたわ。明後日から働きなさい」 「……余計なことを」 ドラムバッグをリビングの脇に放り出して、それからソファに座った。テレビは休日の昼間の番組。CM前のアイキャッチでは、江ノ島の海岸を俯瞰した映像が流れた。 「この暑いのに、クーラー入れてないの?」 「そりゃ今階段を上がってきたからだろう、結構涼しいぞ」 立ち上がって窓から外を見る。 銀色に赤帯の電車が走り去っていくのが遠くに見える。右側には同じくらいの高さのマンション。眼下はちょっとした公園。 確かに風通しは悪くない。生ぬるいふざけた風だが。 「どうだった、定期試験」 切ったスイカを持って、母もリビングに現れる。 「あー、たぶん単位落とすことは無いと思う」 「そ。四年で卒業できなかったら仕送り止めるからね」 「大丈夫だよ、このペースで行けばちゃんと卒業できるって」 そう言っては、ソファに座ってスイカにかぶりつく。 まだ季節が早いからだろう、小玉な上に味も薄いが。 「………」 あの夜、一晩だけこのソファで寝ていた人のことを少しだけ思い出した。 彼女が当初あの村を出ると言わなかったのは、暗護佐が怖いだけではなかったのだ。 理穂があの夜にあの話をしたのは、宗佑の血を啜ったのは。どうしてその時気づかなかったのか。 理穂の話を殆ど聞き流していた宗佑が少しだけ受け止めたところで、理穂にとって高熊窪の瀬見理穂の存在とは到底許され足らないものだったのだろう。 結局宗佑は、本当に何もしないまま、ただ高熊窪に行って帰ってきただけに終始してしまった。確かに帰る場所は理穂に教えた。理穂は最初にこの家に来た。だが、理穂はこの場所に来たものの、自ら望んで宗佑の前から姿を消した。許されない自分自身を連れて。 常に動き続けていたのは理穂で、動かされ続けていたのも理穂で、結局、理穂は何を思って啓太の手紙を読んだのか、決断をしたのか、解らない宗佑はただスイカを食い続ける。 「……宗佑、エツは確かに死んだんだな?」 宗孝がスイカの皮までかじりながらボソッと切り出す。 「あなた、その話はもう……」 何度も聞かれたことだ。 「死んだよ、間違いなく。暗護佐とかいう連中に、家に火つけられて」 皮を皿に置く音は小さく、そして静かに次の一切れに手を伸ばす宗孝。 この男とて、祖父の血肉を食べつくした祖母によって生まれてきた命である。 この男の体の組成には、祖父の栄養がそのまま使われているのである。 「……そうか。死んだのか」 宗佑も食べ終えた皮を置き、そしてその手はソファに置く。 「スイカ、もういいのか?」 「うん」 理穂は新しい生活など望んでいなかったのだ。 村での生活も望んでいなかったのだ。 ソファに触れるこの手は、本当はこのソファに触れた理穂に触れたかったのかもしれない。 宗佑が何か言ってやれれば、してやれれば、理穂はそこまで自分のことを責めなかったのではないか。しかし何もしてやれなかった現実の結果として理穂は自分を責めたし、法も社会も理穂を責めた。それでも理穂はそれを望んでいたというのか。 「父さん」 「ん?」 「村を出て良かったって、思ってる?」 「ん、どういうことだ?」 「その、靖子って人のこととか……」 「……」 宗孝のスイカを食べる手が、止まった。 |