更地のノート > 物語 > ひとつむぎ > 五月三日の章 田舎村観光 > 9/15

 

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 一応啓太の心配をしてはいる。
 そう言っておきながら、理穂は随分のんびりとそばを食べ、そろそろ出て行こうという宗佑からのオーラを雑誌の表紙で跳ね返し、読みながら水を三杯もおかわりしてようやく店を出た。
「満腹満腹」
 消化の早いそばを食べたのだから、今胃袋を膨らましているのは大半が水ではないかと思う。
「……ホントに心配してんの?」
 宗佑は半ば呆れて、田んぼの中を歩きながらそう言った。
 理穂は横目でチラリと宗佑を見て。
「啓太はね、かくれんぼの名人だったんだよ」
 と、どうでもいい話を始める。
「しかもアイツ、一箇所に留まらないんだよね。私が鬼をやるといつも日が暮れるまで鬼だった」
「いや、だからって探さないわけには……」
「言ってる意味、解らないかな?」
 ニヤッと照れ笑いをしてみせる。
「啓太のことは私が一番知ってるってことだよ。そのうち出てくるって」
「……」
 冷静に考えれば全く根拠の無い話なのに、宗佑は妙に納得してしまう。
「じゃあ、次はこっち行ってみましょうか」
 と、先ほどの十字路を今度は直進する。
「こっちには何が?」
 村の地理はサッパリだが、だだっ広い田んぼが全体を占めている分、覚えやすいといえば覚えやすい。
「来る時に、たぶんず〜っと山道を越えてきたと思うんだけど」
「うん」
「あの道は、今この村の唯一の出入り口でね」
 左を見れば、さっきの若い男女はまだ田植えをしている。さっきやっていた場所とはまた違う所に移ったのを見ると、どうやらこの辺り一面が彼らの所有地らしい。
「こっちは、大昔に別の場所に繋がってた道」
 神社とは、平地の田んぼを挟んで反対側に位置する丘が見え始める。
「大昔、この村は東西を結ぶ峠道の谷間だったらしくてね」
 砂利道の両脇に時折見える地蔵など、確かに歴史を感じるものは多々ある。用水路とも川とも見えない水路を渡る橋などは、百年単位の歴史を思わせる色をしている。
「今じゃ海岸に国道とか電車とか通ってるけど、昔はこっちを迂回する道が使われてたみたい」
「じゃあ、ここは宿場町だったとか?」
「そうでもないよ、そんなに太い道でもないし」
 平地の真ん中に来る。
 周囲は一面田んぼで、左右に細長く広がっている。前後の山と山の間隔はやや狭く、背後の神社の辺りは山が平地に食い込むように大きくせり出しているのが解る。
 左手もそれほど奥行きが無いまま山になり、右手の方には延々と田んぼ、そしてところどころの住宅が見える。向こうが宗佑と理穂の家、そして昨日来る時に通った道も、向こうに見える森と山を貫いているのだ。
「よくこんなところに集落を作ったなあ」
「どういうわけだかねぇ。でも、大昔からここに人が住んでたみたい」
「大昔って、どれくらい?」
「さあ。平安時代とも、奈良時代とも言われてるけど、そこまでは」
 やがてこの道も山へと真っ直ぐに突っ込む。
 道の両脇が田んぼでなくなると、途端に森と化す。砂利道だった道床も落ち葉と枝の積もる湿ったものとなり、風景もまさに森の中になる。道に緩やかな傾斜がつき、道とそうでない場所の境も明確でなくなってくる。
「ホントにこんな方に啓太さん来たのか?」
「さあ? でも、こっちの方にはたまに誰か来るしね」
「誰かって、誰が」
「山菜採りとか、たけのこ掘りとか。ちょうどこれから季節だし」
「つったって、失踪した奴がたけのこ掘ってんのか?」
「掘ってるかもよ。啓太、栗畑に侵入して栗盗って帰ってきたことあるし」
「……ヤンチャなんだな、啓太さんって」
「手に負えないよ、ホント」
 道は徐々に険しくなる。落ち葉の堆積層の下に、ゴツゴツとした石を感じるようになり、振り返っても田んぼはもう見えない。
 理穂はふとしゃがみこんで、小さくて黒いものを摘まみ上げる。
「どうした?」
 真っ黒の繊維だ。ほんの切れ端だけが、落ち葉の上に落ちていたようだ。
「……いや、誰か来たのかな、って」
 その割には、理穂の表情は険しい。訝しさを通り越して、既に危惧を抱いている顔だ。
「行こう」
 と言って先に歩き出したのは理穂だった。
 が、少しも行かないうちに歩きを止めてしまう。
 森の奥の一点を凝視して。
「今度はどうした?」
「……」
 理穂はなおも黙って奥を見つめ続ける。
「どうしたんだってば」
 という宗佑の質問に先に答えたのは、理穂の口ではなく森の奥からの足音だった。
「え、何かいるのか?」
「静かに」
 後から答えた理穂のその慎重さで、宗佑は余計に冷静さを失う。
 森の奥から姿を現したものは、黒っぽい毛皮を全身にまとった巨大な獣だった。
「く、熊!?」
 宗佑は早くも後ずさりを始めるが、その後ろの巨大な木に背中をぶつけてそれも終わった。
「り、理穂さん、逃げないと」

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