更地のノート > 物語 > ひとつむぎ > 五月四日の章 赤の融合 > 6/14
昭島邸に戻っても、まだ何か落ち着かない。 この家に来て既に三日目。このリビングにも、初めて会った親戚にも、慣れつつはあるはずなのに、だ。 思えば、ここに来てからずっと落ち着いていない。 初めて来た家と初めて会う親戚。そうかと思えば従兄弟の失踪。そして死亡。悲しみにくれる暇もない結婚。 こうして今、その結婚とやらが終わったのだから、これから慣れれば落ち着いてくるのだろうか。 ――慣れれば、の話だけどな。 雅美が茹でてくれたうどんを食べながら、今や妻となった理穂を見る。 何の変哲も無い、ただの女性。昨日までは彼女でもなく、友達ですらなかった人間が、一生のパートナーとなって今隣に座っている。 当の理穂は、何の変哲も無い顔で宗佑を見返して、笑いかけた。 何の変哲も無い愛想笑い。 理穂は続いて、隣の雅美の方を見て。 「おいしいです。今度茹で方教えてくださいね」 「べつにコツなんて無いわ。湯加減をよく見てるだけよ」 と、やはり何の変哲も無い会話を交わして麺をすする。 ――俺は何をしてるんだろう。 自宅から遠く離れた、初めて訪れたこの地にも、宗佑の居場所ならある。 だが宗佑には帰る場所もある。どちらにいるべきなのか、正直解らなくなっている。 「家とかに知らせなくていいのかな。親にも無断で結婚なんて」 隣のエツに訊ねてみても。 「そう思われんのはただの義理だっちゃ。後で元気に暮らしとる言えばええがに」 「はあ」 「それにわざわざ親の話聞くことも無いがに。あんまの歳なら」 そう言えば啓太も、この村では十五から酒を飲めると言っていた。 理穂も両親がいないのに立派に暮らしていることだし、いくらこの村の子供が子供っぽく見えるとはいえ、都会よりも自立は早いのかも知れない。 「どの道あなたは帰れない」 理穂がつゆを飲みながら、一言だけ釘を刺した。 啓太の死体を思い出す。少なくとも理穂の言うことは脅しではない。 「宗佑君」 箸を置いた理穂は切り出す。 「考えたって仕方ないんだから、ひとまず忘れて」 エツは理穂を見て笑いかけた。どうにも不可解なタイミングだ。 「私も啓太のことは忘れる。だから、仲良くしよう」 「……」 理穂は立ち上がって、流し台にお椀をぶち込むと、今度は廊下のドアへ向かった。 「二階で昼寝させてください」 返事を待たずにさっさと廊下へ行ってしまう。 「勝手知ったり、ですね」 「小さい頃からずっと遊びに来ていたのよ。……この家に嫁ぐことも、その頃から決まっていたし」 「はあ」 「それに、今朝は早かったろうから、疲れているんでしょう」 雅美も箸を置く。 「宗佑さんは、お昼寝は?」 「俺はべつに……」 「あら、そう。疲れたら寝ていいのよ」 と言うと雅美もお椀を持って立ち上がる。 雅美は、食べ終わった宗佑のお椀にまで手を伸ばし。 「あ、俺は自分で片付けますよ」 「いいえ。立ったついでです」 と、雅美は宗佑のお椀と、エツのお椀も空になったざるも持って台所へ行った。 その間にエツも立ち上がる。 「おら達は畑に行ってくんがに。あんまはくつろいどられ」 エツはさっさと玄関に行き、今台所の電気を消して雅美も出てくる。 「お留守番、お願いしますね」 窓の鍵もかけずに寝ているこの家で、今さら留守番に何の意味があるのか。 要するに、何もしなくていいということだろう。 テレビをつけてもおもしろいものは無かった。 今夜放送するバラエティ番組の予告編やら、テレビアニメとかドラマの総集編やら。某国営放送は田舎の風景を映していたが、被写体は高熊窪と大して変わらない所だった。 いずれは宗佑もこの村に慣れることになるのだろう。 親ともまともに連絡を取らないまま。 ――帰りたい。 そういう気持ちは確かにある。しかしここから逃げる理由はそれだけ。 四年間大学に通ってまで就職せずとも、ここには田畑がある。彼女を探さなくても妻がいる。こんな立派な家まである。少なくとも当面不自由なことは無い。第一ここには、家族ではないが親戚がいる。宗佑がたまたま来たことが無いだけで、決して縁の無い土地ではない。 もちろん、今までの親と友達と大学を全て捨てれば、の話だが。 「……そうだ」 即時の連絡手段は確かにない。携帯電話の電波も極めて不安定だ。 が、自分がここへ来た理由を思い返してみる。 |