更地のノート > 物語 > ひとつむぎ > 五月四日の章 赤の融合 > 10/14

 

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「そんな話をしてどうなさるおつもりですか。理穂様」
 いつの間にか、誰かが宗佑の背後に立っていた。
 ろうそくの明かりで見えるのは、朱色のスカートか袴。上半身には白っぽいものを着ているのがうっすらと判る。ということは、神社の巫女か。
「あなたはまだ身篭ってもいないのでしょう? 今逃げられたらどうなさるのですか」
「……」
 理穂は無言で巫女を睨む。
 間に立っている宗佑は、ただ忙しなく前と後ろを見るだけだ。
 ……かと思うと。
「うわっ」
 突然理穂に抱きつかれる。
「ちょ、何を……」
 宗佑は助けを求めるように巫女を見た。巫女もどうやら宗佑を見てはいるようだが、そうだとしても極めて無関心に眺めているだけだった。
「迷い人と同じ。今この場で」
 理穂が放った言葉は、振動として胸にも伝わってくる。
 宗佑の高鳴っている鼓動も当然理穂に伝わっているだろう。
「それに、いずれ知ることですから」
 言うだけ言うと、理穂の腕の力が更に強くなる。
「いててててて」
 女性に抱きつかれたのは初めての宗佑だが、これは想像以上に痛い。というよりも、世間で言う「抱く」という行為とこれは少し違う気もする。
「……いいから私に合わせて」
 声では聞こえなかった。
 宗佑の胸に触れている理穂の唇と声帯から、振動が伝わっただけだ。
「……あ」
 何をしたらいいのか解らず、とりあえず音韻上最も基本となる[a]の音を口から出して、それから、次のとりあえずには理穂を抱き返してみた。
 怒られるかと思ったが、理穂は身を縮めて、それから少し体をくねらせる。
 その際に宗佑を見る顔は、明らかに笑顔だった。
「あ」
 もう一度、何が何だか解らず基本の音を発音してしまう。
 それから次に戸惑ったのは、徐々に理穂に体を押されつつあることだ。
 どうやら、体重を預けているらしい。
「そのまま壁まで」
 言われた通り、斜め横に後退して、壁に背中をつける。
 理穂は、今度は宗佑の両肩に手を乗せる。
 徐々に体重がかかるのがわかる。自分の肩の骨が伝える軋み。
 宗佑は転ばないように、必死に足へ力を込めるが。
「耐えないで」
 の言葉と共に姿勢を崩した。
 壁を背に座る宗佑の胸に頬を摺り寄せる理穂。
「少し呼吸乱して」
 理穂の指示はことごとく、宗佑に未体験のことを迫る内容だ。
 宗佑は言われた通りに。
「はあはあはあ」
 あまりにもわざとらしい呼吸を漏らす。
 理穂が震えている。笑いをこらえているらしいが、そのためもあってか顔を見せない。
「……」
 どうしたらいいか解らず、とりあえずその姿勢のままで理穂の指示を待つ。
「……行ったみたい」
 と、理穂は肉声に出してそう呟いた。
「え?」
 見上げれば、巫女がいない。
「全く、趣味悪い奴だね。見なきゃ満足出来ないなんて」
 理穂はさっさと立ち上がって、ろうそくを載せた棒を拾い上げた。
「あの、さっき言ってた、迷い人云々って何?」
「ああ、あれ?」
 理穂は少し肩を揺らして。
「旅人は放っておいたらすぐ村を出ちゃうからね。いい男を見つけたら、さっさとここに連れ込んで、…………………して、それでその場で食い殺しちゃうわけ」
 宗佑は、理穂とは違う揺らせ方で肩を揺らした。
 理穂と巫女のさっきの会話は、理穂の言葉を借りるなら、宗佑と今ここでその「…………」をして、その後で殺してしまうという意味だったのだ。
 無論、それが巫女に対して言った嘘であったことはこの段階で理解できているが、それでも身を震わせるには十分だ。
「そういえば、啓太に人食い鬼がどうこうって言われたんだって?」
「え? ああ、最初の夜に」
「それは本当だよ。この村の周辺には、そういった伝説が残ってる」
「……えっと」
「私達のことだよ、当然」
「……」
「信じなくたっていいけどね、そんなの」
 理穂の声に何か含まれている皮肉めいたもの。それは自分と村人に向けたものだろうか。
「それと宗佑君。私に本気になっちゃダメだよ、絶対に」
「ああ、うん。解ってる。啓太さんのこともあるし」
 あくまで暫定的な結婚なのだから。
 宗佑の延命と、理穂の将来のための結婚でしかないのだから。
「いや、そうじゃなくてさ」
 既に出口への一歩を踏み出した理穂は、今立ち上がった宗佑とすれ違いざまに。
「もしも本気になられたら、私は宗佑君を食べなきゃならなくなるよ。村の決まりの通り」
 その位置で足を止め、急に宗佑を振り返って。
「私は人を食べたくなんかないんだから」
 と、ニヤけて魅せた。
「その風習って今もまだ……」
 ということは、啓太が逃げた理由も、そういうことだったのか。
 そうだとすれば、宗佑は啓太の代わりに、今目の前にいる理穂に……。
「出よう。まだ話さなきゃならないことがあるし」

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