更地のノート > 物語 > ひとつむぎ > 五月四日の章 赤の融合 > 11/14

 

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 表の社の前の広場はやはり静まり返っていた。
 はるか眼下の、神社の階段前の家々の明かり。畑の中にポツリと見える一軒家。盆地の向こう側の山々の輪郭もうっすらと見えている。
「きれいだな」
「都会の夜景の方がきれいなんじゃない?」
「上から見下ろす機会なんて無いよ」
 宗佑は深呼吸をする。
「この村が、どう見える?」
 理穂は宗佑の隣でそんなことを言う。
「どうって……ド田舎」
「まあ、そうか」
 二人して笑って。
「……この村のせいで運命変わっちゃったんだよ、みんな」
「……」
「宗佑君は、こんな村に来るはずが無かった」
「……そうだね」
「私は啓太と結婚するはずだった。啓太は死ぬはずが無かった。まあ、いずれは私に食べられて死ぬんだけど、それとこれとは話が別」
 理穂は更に続ける。
「こんな村で無ければ宗佑君は帰れるし、私はべつに結婚なんてしなくてもいいし、啓太は村を出ようなんて思わないし、そもそも宗佑君は最初からこの村の住人だったかもしれないのに」
 ある程度言いたいことが溜まっていたのだろう。理穂から出たのは、滞りの無い言葉だった。
 宗佑は、その意味を、理穂が抱えているであろう思いを汲み取りながら。
「……待て、最後のは何だ?」
「ん?」
「俺がこの村の住人って」
「あれ、解ってなかったの?」
 そう言えば、いつだったか雅美がそんなようなことを言っていたような気がする。
 理穂は、首をかしげる宗佑を意外そうな顔で見て。
「あなたのお父さんって、宗孝って言うんでしょ?」
「え? ああ」
「彼がどうして今村の外にいるか、考えたことある?」
「……あ!」
 そうだ。村から出ようとした啓太が殺されたのだから、宗佑の父が村の外にいるわけがないのだ。というよりもこの村の理屈で言えば、父親が存命ということ自体が既におかしいと言える。
「宗佑君は、本当はこの村にいなきゃいけない人間なんだよ」
「え……でも」
「宗孝さんは逃げ出したの。ニ十年くらい前。大騒ぎだったらしいよ。暗護佐が取り逃したって言って」
「……」
 そしてもうひとつ問題にぶち当たる。
 ということは、雅美は夫を食い殺して啓太を産み、その夫の兄である宗孝はそのような村のしきたりに縛られずに今も生きていることになる。
「宗孝さんは逃げ果せたのに、啓太は失敗した。雅美さんはそれで怒ったんだろうね」
「……俺、全然知らなかった」
「うん。知らないからこんなことになってるんだろうけど」
「俺が悪いのかな?」
「いや」
 ひときわ冷たい風が吹き上げてきた。
 思わず身震いする。
 土の匂い。草の匂い。森の匂い。田舎の匂いが舞い上がる。
「村のルールで、啓太は私に食べられることになってた。宗佑君は、その代わりに私と結婚させるために呼ばれたんだろうね、きっと。あの人達の企みで」
「啓太さんの代わりに? 企みで?」
「そう。恐らくは、復讐のために」
 理穂が宗佑の手を握る。
「雅美さんに言わせれば、自分の愛する夫はしきたりで食べられなければならなかったのに、逃げ延びて行きてる義理の兄がやっぱり憎いんだろうね。その息子を殺せば腹いせになる、とでも考えてるんじゃないかな。それも、同じように村のしきたりによって食い殺されればなおのこと。その代わり、自分のかわいい息子は死なないで生きていけるし。失敗して死んじゃったけど」
 理穂の手は暖かい。
 少なくとも今すぐ取って食われることはなさそうだ。
「でも、私も同じように恨んでる」
「……え?」
「あの人達は自分達のために、啓太を逃がして宗佑君を連れてきた。……私の意志なんて無関係に」
 それは即ち、理穂にとって宗佑は啓太の代わりにはなりえない、という意味でもある。
「……あの、もしかして、なんだけど。俺がもしゴールデンウィークに別の用事があって、エツさんからの呼び出しを拒否してれば、こんなことにならなかったってことだよね。恐らくは啓太さんが逃げる計画は中止になったろうし」
 理穂は目を丸くして、それから。
「そういうふうに聞こえた? 大丈夫、宗佑君を恨んでないから」
 と笑って続ける。
「あの人達は、啓太を逃がして宗佑君を代わりに私に差し出した。私は、誰かと結婚しないわけにはいかないから、宗佑君と結婚することになる。結婚すれば私は宗佑君を食う……謀られたんだよ」
「謀られたって……」
「最初から全部、ね」
「じゃあやっぱり俺はここに来ない方が」
「だから、宗佑君は悪くないって」
 宗佑は一生懸命整理しようとする。
 その横で理穂は続ける。宗佑が今必死に整理していることを全て理解した上で。
「宗佑君がここに呼ばれたのも、啓太を逃がすために謀られたこと。啓太が死んだのは事故なんかじゃない。逃げさせたのはあの人達の意志だし、殺されたのは暗護佐のせい」
「じゃあ、昨日の」
「そう。あの二人は啓太を必死に探すフリしてたけど、最初から知ってたってワケ。啓太が殺されてるとは知らなかっただろうけど。まあ何にしても、私には迷惑な話だし、宗佑君には何の関係もないこと」
 理穂はもう片方の手も、宗佑の片手に重ねた。
「だからこそ宗佑君を死なせるわけにはいかない」
 理穂が宗佑を見る目の中には、背景の家、星が写り込んでいる。
「そのためにも、宗佑君は私に惚れないで」
「……結婚してから言うことじゃないよ、それ」
 また二人して笑った。
「私達は愛し合うために結婚したんじゃない、ってことになるね」
 なかなか悲惨な字面だ。
 そもそも、いまだに結婚と言う実感は全く無いのだから、既にこれは結婚ではないのかもしれない。そう考えた方が安心も出来た。
「無関係に巻き込まれた宗佑君は死なせない」
 理穂が、重ねた手をパッと離す。
「私も、あいつらの思う通りにはさせない」
 目線を交わした。
 その次には理穂に抱かれていた。
 また何をしていいか解らなくなった宗佑は。
「あっ」
 とだけ言って恐る恐る抱き返した。
 さっきと違って、理穂の腕が全然苦しくなかった。
 

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