更地のノート > 物語 > ひとつむぎ > 五月四日の章 赤の融合 > 12/14
足元にひたすら注意しながら階段を降りる。 登るのに苦戦した階段は、当然降りるのにも大変な労力を要した。 月がないせいだろう。辛うじて出ている星などでは足元を照らすのにあまりにも不十分。下の家々からの明かりも減り、もはや本当に黒に近い色をした闇が足元に充満している。 「ねえ、あれ」 立ち止まって指差す理穂にぶつかってしまった。 「わ、ごめん」 理穂が大きくバランスを崩した。 宗佑はまず慌てて、次に焦って、どう謝るか、どう助けるかを考えたが、理穂は自分で体勢を立て直した。 宗佑のことを咎めもせずに。 「うちの方じゃないかな」 「は?」 理穂が再び指差した先。木々の隙間から、ぼんやりと赤い光が見える。 「え、何あれ」 「……」 理穂は答えもせずに階段を駆け下りる。 「わ、ちょっ」 降りる時にも、理穂の足には到底追いつけない。 危惧が確信に変わった瞬間の、理穂の驚きようは激しいものがあった。 理穂が思考まで止めたのは、宗佑が見る限り初めてのことだ。 「どうして……」 燃えていたのは、昭島邸だったのだ。 何も考えられなくなったのは宗佑も同じ。 「なんで……?」 あれほど大きな家が、更に巨大な炎に包まれている。窓は割れたのか溶けたのか無くなっており、そこにあるはずの窪みでさえ火勢の強さに塗り潰されている。 対流で起きた風が火の粉を呼び、理穂がようやく。 「け、消さなきゃ」 宗佑を振り返るが、宗佑はそもそも水場も、道具のありかも知らない。 「とにかく消防車を……」 携帯電話を取り出して落胆する。ここは電波圏外なのだ。 「くそ、ポータフォンめ」 叩き割りたくなる衝動を抑えてポケットにしまいなおす。 「そうだ、向こうに納屋が!」 宗佑が言うが早いか、理穂が駆け出す。宗佑も慌てて追いかけるが理穂の足にはかなわない。 「どこだ」 埃と堆肥の臭いの詰まった木造の小屋に入る。耕運機らしきものが中央に鎮座していて、そのまわりには耕作の道具が散乱している。 「あった!」 理穂が叫んだと同時、納屋の外を駆ける音。見れば、ポリバケツを持った理穂が既に走っている。 「くそ、もう一個くらい無いのか」 プランターや植木鉢は見えるのだが、底に穴があっては意味が無い。なぜかこんなところにも鍋があって土を被っているが、それとて何の役にも立つまい。 「……待てよ」 宗佑は振り返る。 理穂は脇の用水路から水を汲んできて、今浴びせかけたところだった。 「雅美さん達は……?」 聞こえるのは、水が蒸発する音と、家が崩れる音と、炎のたてる不気味な音だけ。 「くそっ」 頭上の棚から鍋を引きずり出した。一人分の即席麺でも茹でるのがせいぜいの小さな片手鍋を片手で持って理穂に加勢する。 「雅美さん達は?」 「……」 理穂も手を止めてまわりを見回す。 「……早く!」 結局その行為は自分で否定したらしく、汲んで来た水を玄関のあたりに放り込んで再び踵を返す。 火が衰えた気配すら無い。 が、突然玄関の壁が崩れた。脆くなって倒れたというよりは、自発的に倒れたとでも言うような急激な倒れ方。 そしてその向こうに、二人分の人影。 「雅美さん!」 宗佑が思わず叫んだ。 理穂も振り返った。 が、炎を掻い潜って出てきたのは、知った顔ではない者達。 いやむしろ、知ってはいるだろう。顔が無いのだが。 「新参者≠ゥ」 性別も年齢も解らない声で黒装束の片割れが呟いた。声の方向から、喋ったのは背の高い方だと推測される。 |