更地のノート > 物語 > ひとつむぎ > 五月五日の章 甘い味の新婚生活 > 6/21
「……案外落ち込んでおらんね。心配して損したわ」 暎子は早速せんべいの袋を開けて盆の上にあける。それから立ち上がったかと思うと、宗佑の後ろの棚から皿とフォークと果物ナイフを取り出して、ようかんを三等分する。 「そりゃ、いろいろありますから」 やかんの笛が鳴り、理穂は慌てた様子も無く火を止める。 「そで、これからどうすんねが?」 「そうですね、啓太の家のことはとりあえず忘れて、私はここに住もうと思います」 理穂もまた宗佑の後ろの棚に手を伸ばし、今度は湯飲みを三つ取り出す。 それから引き出しを漁り、湯飲みに茶の元を入れながら湯を注いでいく。 「正直、肩の荷が下りた気分ですよ。義母の介護から開放されましたから。私の母はもう死んでますし」 「まあ、そかね。おらなども大変っちゃ。ボケ老人を二人も抱えて」 理穂は湯飲みを順番にテーブルに置いて、宗佑の隣に座った。 「……あれ、何このお茶」 色は透明。理穂はさっき、確かに湯飲みに何か入れていたが。 「桜茶って知らない?」 「桜茶?」 「桜の花が浮いてるでしょ」 「え? ああ、これ桜か」 そんなやり取りを見て、暎子はクスクス笑った。 「面白い夫婦っちゃ」 「へ?」 理穂が、口に含んだ茶を湯飲みに吐き戻した。音でわかる。 「あなたら、見とるだけで退屈せんがね」 理穂は宗佑を振り返って。 「……だってさ。どうする?」 二人が顔を見合わせるのを見て、また暎子は笑った。 「……それで。家はこっちにすれど、後はどうすんねが?」 暎子は早速せんべいに手を伸ばす。 「エツさん達がいれば、田んぼも畑も管理できたと思うけど、宗佑と二人じゃ無理でしょうね」 「そや。そこの彼は畑仕事なんてやったことなかろうが?」 暎子は目を細めながら宗佑を見る。 「幼稚園の頃、土いじりくらいでしょうか」 「やっぱり」 またも肩を震わせる暎子。 「どうするねが? 昭島さんの畑は全部売るがか?」 「いいえ、私の家の方のも、殆ど売っちゃおうと思います」 「あれ。いいんか? ずっと先祖から受け継いできた土地だが」 「ええ。家だけあれば十分です。売ったお金で暫く生活できますから」 「でも、子供に残すものは無いがか?」 「その頃には何か仕事を見つけたいと思います。お店を出すとか」 「……堅実ではなけれど、夢はあるが。宗佑君はどう思うね?」 暎子はまた笑顔で宗佑に話を振る。 「俺は……そうですね。どうせ畑仕事なんてできやしないんで。理穂さんの言う通りに」 「あら、謙虚な」 笑いながら湯飲みを飲み干し、暎子は席を立った。 「じゃあ、そういうこってええが?」 「あ、もう行っちゃうんですか?」 「手放す田んぼをダラーにしてもつまらんがに。次の引き取り手が早く決まれば、今年蒔いた作物はそのまま育てられるから、少し高く売れんかもしれんぞ」 理穂が仰々しく玄関まで付き添う。その様子を見て、宗佑も慌ててようかんを飲み下して後を追う。 「すみません、私そういうの解らないもんで、暎子さんに任せきりになってしまいます」 「ええっちゃ、ええよ」 靴を履いて。 昭島邸と比べれば明らかに小さな玄関から、暎子は外に出る。 「おらが理穂ちゃんの面倒を見る、最後の機会なんだから」 すぐ前に止めてあった自転車にまたがり、土ぼこりを上げながら暎子は去っていく。 かなりの距離の田んぼを挟んで、向こうの山の麓にあった家はもう無くなった。 最初の夜、あそこにあった家の一階の窓から、舞の練習している少女を見た。その人と今結婚していることを考えると、やはり今でも頭を抱えたくなるほどの違和感に苛まれる。 「理穂さん、ごめん」 「え?」 「俺、桜茶ダメだわ」 「あらそう」 |