更地のノート > 物語 > ひとつむぎ > 五月五日の章 甘い味の新婚生活 > 9/21
「……なんてね」 最後に理穂は笑って手を離したが、もはや宗佑には笑えなかった。手の離れた右肩が痛い。 「宗佑君」 見ているだけで心拍数の上がる表情は今の理穂にはもうない。だが少し前までの理穂の顔はまさにそんな顔だった。 「この村、居心地いい?」 「……」 「このままのんびり暮らして、いつか私に食われて終わりたい?」 「……いや」 「先延ばしするつもりでとりあえず結婚したことにしてみたけど、結局は二択なんだよね」 「……食われるか、逃げるか?」 「そう」 理穂が少しだけ宗佑の顔を睨んだ。 「さあ、どうする?」 先延ばしをやめるというのか。 今この場で宗佑に選べと言うのか。 「……だったら、逃げたいよ。でも途中で殺されるのは真っ平だ」 理穂はその答えを聞くや否や、また一粒食べた。 それから空になった皿を見て。 「あ、ごめん。今のが最後だった」 「え!? 俺全然食べてないよ?」 「私と啓太の桜をまずいって言ったバツ。これでおあいこ」 「……ずるい」 ニヤリと笑う理穂、宗佑は次をどう咎めるべきか戸惑う。 「さて。宗佑君は走るの速かったっけ?」 理穂が急に話題を変えてきた。 「ん? いや、全然」 「だろうねえ」 苺を飲み下した理穂は満面の笑み。 どうやら苺がよっぽどおいしかったようだ。 「死ぬ気で走れって言われたら、死ぬまで走れる?」 「……どういうこと?」 「捕まらなければ殺されないって話。あなたのお父さんはそうしたはずだよ」 「……あ!」 暗護佐の話をしているのだ。 「アイツらだって一応人間。アイツらより速く走りきれば逃げ切れると思うよ。私達にはもう人質もいないし」 「でも……」 「絶対油断しちゃいけない。足を止めたら殺されるからね」 「……うん」 「もしもの時は、せいぜい頑張って足掻こうね」 宗佑は唾を飲み下した。 本当なら飲み下すのは苺だったのに。 「でもいいのか? もう外に啓太さんはいないんだぞ?」 「啓太の代わりに来た奴にも、やっぱり死んで欲しくはないってことだよ」 「……」 「それに私自身も出てみたいと思うし。もうこんな思いは嫌だ。かと言ってあんな変な巫女の連中の仲間になりたくもないし」 理穂が席を立って湯呑みと苺のパックを流し台に沈める。 「でも、ここから連れ出してくれる人がいたら、私、惚れてもいいな」 理穂はチラっとここから連れ出してくれる人≠フ候補生を見た。 「何言ってんだよ」 ぶっきらぼうに答えたつもりだが理穂は笑う。 「ほらやっぱり。このままここにいたら長生きできないよ、宗佑君は」 「…………」 そんな顔をした覚えは無い宗佑だった。 |