更地のノート > 物語 > ひとつむぎ > 五月五日の章 甘い味の新婚生活 > 11/21
「散歩で犬を逃がすならともかく、飼い主が逃げてしまうとはな。ならばきさまらの鎖は、我らが引かねばなるまい」 見ると、背の高い奴の手には、見覚えのある赤いリードが握られている。 「瓜実さんはとても良い子ですね。リードを解いたらあなた方の逃げた方向を教えてくれましたよ。大丈夫、今後は私達がきちんとお世話をしますから」 そう言ったのは、中背の黒装束。この声、幼くは無いがかなり若い。間違いなく女の声だ。 そいつがまず、宗佑の手を背中に貼り付けた形で捕まえて。 「……で、俺達をどうしようって?」 と問えば、宗佑の背後にいた背の低い奴が進み出て、宗佑の首にナイフを突きつける。理穂を羽交い絞めにしている奴と合わせて、これで四人だ。 「用心せいよ、男の力は並で無いぞ」 背の高い奴。 「心得ています。靖様」 ナイフを突きつけた背の低い奴の声に聞き覚えがある。昨日、昭島邸が燃えた時のあいつだ。あの、幼いとさえ言えるほど若い声。 そうなると背の高い奴は、やはりあの時の背の高い方か。 「……ずっと欲しかったのよ、あなたのことが」 今度声を出したのは、理穂にナイフを突きつけている奴。こちらの声も若い女のもの。恐らくは理穂よりも年下。 「あ、蓮華ズルい! 瀬見は私が欲しかったの!」 と、宗佑にナイフをつけている奴が言う。声だけ聞いていれば、この不気味な姿など想像も出来ない。 「喧嘩はおやめなさい。みんなで分け合いましょう、この村の財産ですから」 宗佑の手を押さえている中背。年功序列でもあるのか、この声に背の低い二人は静まった。 「私を、狙ってた?」 理穂はわりと冷静に、自分を羽交い絞めにしている奴の方へ顔を向ける。 「だって理穂ちゃんははこの村を嫌ってた。いつか逃げるんじゃないかって思ってたもの」 「それに瀬見の力も継いでみたかったし。私は瀬見みたいな、キレイな顔になりたい」 「理穂ちゃんの力も欲しいもん」 「ねえ靖様、いつになったら殺していい?」 あどけない声が物騒な会話を交わしている。 何が何だか解らないが、とりあえず理穂の肉はこいつらにはいいらしい。 背の高い奴がため息をつく。 どうやらこいつが「靖様」とか呼ばれている者のようだ。 「静かにせい」 こいつの一言で、背の低い二人は静かになる。 「頂くのは話を聞いた後。しばらく待っておれ」 そう言って、靖様とやらは理穂の前に進む。 「瀬見理穂、なぜ逃げようとした。昭島宗佑はいざ知らず、きさまは厳罰だとよく知っているはずだが」 見上げる理穂の顔にはさすがに焦りが見える。宗佑は何が何だか解らなくて恐ろしいが、理穂は普段からこの暗護佐とやらをあれほど警戒していたのだから、今はなおのこと恐ろしいに違いない。 だがその一瞬、宗佑には、理穂が笑ったように見えた。 「……え?」 見間違いだったのかどうか。 瞬きをした瞬間、理穂はもう見えなかった。 「聞かせる話なんか無い!」 強い閃光が目に入ったと思った時には、視界は真っ黒になっていた。目が眩んで何も見えなくなる中で、あの背の高い奴の声が呻いていた。それだけは耳に残っていた。 「靖様!」 宗佑を捕まえていた二人の手が一瞬緩んだ。 「あ」 気づいたとしても時既に遅し。 まずは目の前のナイフを払い、続いて後ろで手を捕まえていた奴に蹴りを喰らわせる。夢中で抜け出した直後には、何者かに手を引かれていた。 「平気?」 痛いくらい強く掴む手。それが理穂の手だと解っていたので、後は引く手に合わせて走り出す。 「何とか平気」 後ろからは足音がいくつも追って来ている。 「走れる?」 「どれくらい?」 「あといくつ山越えるんだろう」 「……ごめん、無理」 くすっと笑ったのも理穂。後ろから追いかけてくる殺気立った連中を見ると、笑っている場合ではないのだが。 「じゃあ、こうしよう」 理穂は急遽足を止めて。 「うわっ、止まった!」 追ってきていた奴が驚きの声をあげた。 その、怯んだ体に。 「くらえ!」 今拾った木の枝をフルスイング。 体が軽いせいもあるだろう、背の低い毛皮は尻餅をつくほど吹っ飛んだ。 「あら、過激♪」 もう一人が理穂の背後に回りこんでいた。 宗佑は理穂に代わってそいつに飛びかかる。 牽制のつもりは、確かにあった。本気で殺すつもりがなかったのも事実。 だが。 こんなふうに避けさせるスキはなかったはずだ。 「遅いよ」 宗佑の手がそいつの影を突き飛ばす、まさにその瞬間までそいつはそこにいたのだ。なのに瞬時に黒装束は視界から消え、代わりに声は後ろから聞こえてきた。 「え……」 宗佑が気づいたのは今さらになってから。 「勝てると思うの?」 容赦の無い蹴りが背中に打ち込まれ、宗佑は地面に突っ伏した。 「がはっ」 |