更地のノート > 物語 > ひとつむぎ > 五月五日の章 甘い味の新婚生活 > 15/21

 

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「凄い静電気だったな。これであいつらも痛がってたのか?」
「そうだよ」
 理穂は少し笑った。
「……結婚した後、女が男を食べる話は、したよね?」
「え? ああ、夕べ」
「あれ、栄養のためだけだと思う?」
「……」
 理穂は宗佑の手に自分の手を重ねた。
 僅かに走る静電気。痛くは無いが、はっきりと感じられる。
「愛する人の血肉を食べるってことは、その人の存在を受け継ぐことになるよね」
 握る理穂の手は、暖かい。
「私はね、お母さんの体を食べた時にね、こんな体になっちゃった」
「…………へ?」
 理穂はもう一度笑う。そして宗佑を見てくる。
 真っ赤な月が地平線に近い空に現れていた。向こうが東か。今夜は下弦の三日月。理穂の瞳に、その月が映り込んでいる。
「BSEって知ってるよね?」
「狂牛病?」
「そう。……こんな説があってね」
 しがみついていた木の幹から手を離し、理穂はその指先から垂れた血を嘗めた。
「あの病気が、倫理に反した共食いから起こるんじゃないかって」
「……肉骨粉のこと?」
「その通り。普通じゃ考えられない状態になっちゃう」
 宗佑は身震いをする。もちろん寒さのせいも、あるにはあるが。
「クモとかカマキリだって、交尾したら雄は必死に逃げるもんね。食べられたくはないわけで」
「……まあ、な。俺も死にたくないし」
「そうだろうねえ」
 理穂は、目を細めて笑った。
 そして、再び見開いた目で。
「私ね、『何でおばあちゃんはいないの?』って聞いたことある。そしたらお母さんはこう言ったの。私のおなかを指差して『あなたの中にいるのよ』って。……そう、私のお母さんもこの私の中にいる」
 そう語る、赤く反射する理穂の目に、宗佑は再び身震いをする。
「私は、お母さんを口に入れた時、おかしくなった」
 想像もつかない、その時の心境など。
「もの凄い吐き気と、頭痛だったよ。胃の中が渦を巻いて、このまま中から溶けて死ぬんじゃないかってくらい。それから、凄い汗と涙が出てきて、震えて、熱が出て……」
 それを話す理穂は、今も苦い顔をしている。
 が、その目に映る赤い三日月が。厳密に言えば二十五日の月が。
「それで、こんな力を持ってしまった。感情が高ぶった時、強い静電気が出るおかしな体に。どっちなんだろうね、それともお母さんが私にくれた力なのかな」
「……理穂さんだけ?」
「あいつらを見てたでしょう、あの動き、人間じみてないよね。多分一緒」
「……」
「たくさんの人の力を受け継いでるってのは、ダテじゃない。物理的にも、精神的にも」
 理穂の目の中の赤い月がかすかに揺れる。
「みんな病気……みんなおかしくなってるんだよ」
 そう言いながら理穂は、宗佑の手を握った。
「話し過ぎたね」
「え?」
「下に奴らが来たよ」
「何!?」
 ずっと斜面の下の方、木の葉の影から見える二つの光。別々に動きながら森の中を物色している。
 焦って上を見たが、斜面の上でも二つの光が物色を続けている。
「……これまでかな」
「え」
「殺されちゃう」
「……」
「啓太の時と一緒。殺した後わざと解りやすい所まで持って来て。それからアイツらはあの格好でその辺をうろついて」
 宗佑はあの時の啓太を思い出した。
「見つかった時にはもう変色してヤな臭いで横たわってるんだよ。しかも最後には神社に持ってかれてアイツらに食われる」
「……」
 今さらながら宗佑は、それが自分の未来であることを知る。
 あいつらに捕まったら、そうなるのだ。
「今さら謝ったって許してくれないだろうしね。どうしようか」
 他人事のように言ってから、理穂はふと笑った。
「……なんだよ」
「うん、遅かれ早かれこうなる運命だったのかなって、私」
「こうなる運命?」
「もし啓太が一人で逃げおおせていたとしたら、私はやっぱりこうやって追いかけて見つかって殺されると思うんだよね」
「……それで、か」
 宗佑はため息を一つ。
「こんな状況だってのに、やけにのんびりしてるなって思ったんだ。理穂さんは全部覚悟の上だったんだな」
 理穂は暫く黙っていたが、宗佑の足元から僅かの土が転がり落ちて行ったのを目ざとく見つけた。
「……震えてるの?」
「当たり前だろ!」
「大声出したらアイツらに見つかっちゃうよ」
「もうどうしようもないじゃんか! こんなところで死にたくねえよ!」
「だったら声抑えなって」
 斜面の下の懐中電灯が二人のすぐ傍を照らした。
「……っ」
「静かにしてれば大丈夫」
 理穂が宗佑の手を握った。
 宗佑の震えはこれでハッキリと伝わっただろう。
「……死ぬの、怖い?」
「当たり前だ」
「そうだよねえ。アイツらに捕まったら殺されるまでに何されるかわかったもんじゃないからね」
「そういう問題じゃない! 死ぬのが嫌なんだ!」
 大きな声を出してしまった、が理穂は制止しない。
「だけどこの村の男はみんな宗佑君と同じくらいの歳で死んでくんだよ」
「一緒にするな! 俺は普通の人間だ!」
「……そっか」
 理穂は何も言い返さなかった。
「……」
 宗佑はそれ以上何も言えず、思わず踏ん張った足が少しだけ斜面を滑った。
「……べつに言い過ぎたなんて思ってないからな」
「うん」
 理穂とて気にしているわけではないようだ。
 その証拠に、平然とした声で言葉を番える。
「そうだよね、私だって確かに怖いよ」

 

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