更地のノート > 物語 > ひとつむぎ > 五月五日の章 甘い味の新婚生活 > 20/21
「……は?」 「いろいろ言ったよね。村のこと、私のこと。……啓太のこと」 「あ、ああ」 ちょうど立ち止まった場所が建物と建物の境だったからだろう。 迫りきった軒の隙間から真っ白な太陽光が差し込む。理穂の顔の左半分を照らす。宗佑の右目だけに突き刺さる。 「実感できてはいないけど、でも嘘じゃないと思ってるよ」 「……じゃあ、私の手、握れる?」 「へ?」 理穂は決して手を突き出したりはしなかった。 「私の口に触れる?」 「あの、何を言ってらっしゃるんですかあなたは」 苦笑いする宗佑に理穂は笑顔で返した。太陽光が照らす左。青い空を取り込んだような右。 それから、少しだけ俯くともう顔に光は当たらなくなる。 理穂は極めて静かに口を開いた。 「肉親を食べたこの口に、だよ」 「……あ」 宗佑は、夕べ理穂が言ったことを思い出す。 そして同時に、そのあとで理穂がした行為をも。 「私は未練なんか何も無い。本当だよ。……でも私は、あくまで村の人間。私がしたこと、知ってるよね」 「……」 理穂は顔を上げた。 まだ宗佑を見ていた。 「さあ、冷静に考えて。ここはもう村の中じゃない。こんな私に触れる?」 理穂は目を閉じない。 手も差し出さない。 顔だって笑顔のままだ。それが心からのものではないことは宗佑にだけ見抜ける。誰に聞いたってこの表情は笑顔だ。だけど今の理穂の顔には、啓太のことを心配していたあの時の面影がある。同一人物の顔だから当然といえば当然だが。 「……できるさ」 所在無く垂れていた理穂の手を掴んで。 誰も歩いていない早朝のこの通りで、他に誰もいない日当たりで、自分からは微動だにしない理穂の口へと。 理穂は抵抗をしない。しかし求めてもくれなかった。 だから宗佑は自分の力だけでひたすら口を口に押し付けた。 「……約束したからね」 と理穂。 「ん?」 「うん、もう大丈夫」 「何が?」 「大丈夫だから」 理穂はそっと笑った。 宗佑はその意味も解らずに。 再び歩きを再開したのは、理穂がそうしたからだった。 宗佑は不規則な足音を立ててその後についていく。 |